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摂津(川辺郡)の式内社/多太神社
兵庫県川西市平野2丁目
祭神−−日本武尊・仁徳天皇・伊奘諾尊・伊奘冉尊
                                                               2011.08.03参詣

 延喜式神名帳に、『摂津国川辺郡 多太神社』とある式内社。
 社名・多太は“タタ”・“タダ”の読みがあり、今、神社では“タダ”と称している。近傍(多田院多田所町・当社の南西約1.4km)にある清和源氏の祖・多田(源)満仲(920頃〜997)創建の多田神社(タタ・970創建)と呼称が同じため、地元では“タブト”と呼んで区別しているという。

 阪急宝塚線・川西能勢口駅から分岐する能勢電鉄妙見線・平野駅の南西約300mの住宅地のなかに位置し、平野駅から鉄道の西側を走る国道173号線を南下、平野2丁目交差点を右(西)へ、すぐの角を右(北)に入った(入口付近に短い坂あり)突きあたり、小丘(宮山)の麓に鎮座する(旧地名・川西市平野字宮山685)

 平野2丁目交差点の北西角の植え込み中に、“多太社”との石標が立つ(川西市指定文化財)
 江戸中期の国学者・並河誠所(1668--1738)が、当時、忘れられかかっていた畿内の式内社を調査考証し、中世の頃から平野明神と呼ばれていた当社を式内・多太神社と比定して、元文元年(1736)に立てたもの。高:91cm・方24cm、2層基壇の上に立つ。

多太社・石標

※由緒
 当社の創建について、社頭に掲げる案内には
 「創立年代は明らかでないが、延喜式内社である」
とあるだけで詳細不明だが、兵庫県神社誌(1937)によれば、
 「伝えいふ、往昔太田々根子命崇神天皇の勅を奉じ大和大神の神主となりて後、其子孫神人(ミワビト)神直(ミワノアタイ)氏此の地に止り、一祠を営み大祖素盞鳴命・太田々根子命を奉斎せしに初まる」
という。

 祭祀氏族・神人氏とは、新撰姓氏禄(815)
  「摂津国神別(地祇) 神人 大国主命五世孫大田々根子命之後也」
とある三輪系氏族。
 和名類聚抄(937)に“川辺郡大神郷(オオムチ ゴウ)”があり、和泉国陶邑を本貫とするオオタタネコの一族が、陶器の生産地を求めてこの地に入ったのではないか、という(日本の神々3所載・多太神社-2000)
 因みに、当地から北方の猪名川町にかけて多田鉱山(銀山)と称する銅銀鉱脈があった(昭和48年閉山)。当社の南西約4kmの大字満願寺から銅鐸が出土していること、奈良東大寺の大仏鋳造に当地の銅が使用されたとも伝わることなどから、古くから銅鉱石の採取・銅製品の製造がおこなわれたようで、オオタタネコ一族も陶器制作とともに製銅にもかかわったのでは、という。

 なお、当社は中近世には“平野明神”と呼ばれ、社伝によれば、“清和源氏の祖・多田(源)満仲が京都北区の平野神社から勧請した”との伝承があるという。
 しかし、満仲が当地に入り本拠地としたのは天禄元年(970)頃であり(多田院・現多田神社の創設)、延喜式(927制定)登載の式内社である当社とは年代が合わない。
 また、摂陽群談(1701)には
 「多田神社は多田庄平野村にあり。社家記にいう、山城国葛野郡平野社に同じ」
とある(川西市史)
 今、境内に立つ 元禄9年(1696)・正徳5年(1715)銘の燈籠に“平野明神”と刻されているように(未確認)、当社と京都北区に鎮座する北野神社と結びつけていたらしいが、その根拠は不詳。当社が平野村にあったことから平野神社と関係づけたものと思われる。

 創建後の経緯は不詳だが、多田荘72邑の惣社として、また多田源氏の本居・多田院(現多田神社)の艮にあるため、多田源氏守護の神として崇敬されたという。

※祭神
 今の祭神は、上記のように日本武尊以下4座となっているが、その事由は不明。

 この祭神にかかわって、特選神名牒(1876)には、
 「本社祭神は伊奘諾尊・伊奘冉命・日本武尊・仁徳天皇なりと云へど、日本武尊・仁徳天皇は平野明神とうより、平野神を八姓祖神として、その中にこの二柱をも祭りたりと云説もあるによりて云い出したるなるべし。実は伊奘諾尊・伊奘冉尊を祭れるならん」
とあるという(川西市史)

 京都・平野神社(794創建)の祭神は今木神・久渡神・古開神・比売神で、いずれも桓武天皇の外戚祖神(百済系)という。
 これに対して、祭神4柱にわが国の神々を充て、且つ、それらを源氏・平氏など臣籍降下氏族8氏の祖神・“八姓祖神”とする説があり、そこでは今来神=日本武尊=源氏の祖神、古開神=仁徳天皇(オオササキ尊)=高階氏(天武の皇子・高市から出た氏族)の祖神とされている。
(八姓祖神−−今来神=日本武尊=源氏の祖、久度神=仲哀天皇=平氏の祖、古開神=仁徳天皇=高階氏の祖、比売神=天照大神=大江氏の祖、摂社県社・天穂日命=中原・清原・菅原・秋篠氏の祖)

 当社祭神を日本武尊以下4座とするのは、当社を平野神社と同じとすることかららしいが、
 ・平野神4神のうち日本武尊と仁徳天皇2神を祭神とする理由
 ・イザナギ・イザナミ2神を祀る由緒
 ・延喜式には祭神一座なのに、四座を祀る理由
などの疑問があり、祭神を上記4座とする事由ははっきりしない。
 当社本来の祭神が不明であったため、ある時期に、平野との地名を縁として平野神を持ちこんだものと思われ、策強付会の感を免れない。

 当社本来の祭神は、今の4座ではなく、川西市史がいうように、神人氏の祖神・オオタタネコあるいはオオクニヌシ(又はオオモノヌシ)のいずれかとするのが妥当ではなかろうか。

※社殿等
 鳥居をくぐり疎林にはさまれた参道奥・境内の石積基壇の上に拝殿(入母屋造・瓦葺)が建ち、その背後、簡単な覆屋の中に本殿(一間社春日造・檜皮葺・県指定文化財)が鎮座する。内陣厨子内の墨書により元禄6年(1693)造営という(社頭案内)

多太神社/鳥居
多太神社・鳥居
多太神社/拝殿
同・拝殿
多太神社/本殿
同・本殿

◎境内社
 式内社調査報告には“境内神社9社鎮座”とあるが、社殿右手に“北摂七福神 福禄寿”との標札を掲げた覆屋の中に小祠(一間社流造)が鎮座するだけで、他の社・祠などは見当たらない。
 また、境内に玉垣に囲まれた基壇上に磐座があり、遙拝所らしい。

多太神社/福禄寿社
福禄寿社
多太神社/遙拝所・磐座
遙拝所・磐座

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