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河内の式内社/国中神社
大阪府四條畷市清滝中町
祭神:天照大神・国常立命・猿田彦命・菅原道真
                                                                 2008.0924参詣

 JR学研都市線・忍ヶ丘駅の南東約1q、未だ田畠が残る清滝の集落内、清滝川北側の大上山上に鎮座する。清滝川に沿って神社南麓を通る細い路(W≒3m)は、奈良方面に抜ける旧清滝街道。

 集落内の一般道路と旧街道との交差地点に古い大鳥居が立ち、元禄年間(1688〜1704)の建立という。大鳥井脇の旧街道を約50mほど進んだ左に石段があり、神社境内に登る。

国中神社・大鳥居
国中神社・大鳥居
国中神社・参道石段
同・参道石段

 当社は、延喜式神名帳(927撰上)に『河内国讃良郡 国中神社』とある式内社で、クナカあるいはクニナカと読む。
 社頭の案内には、
 「この神社は延喜式神名帳に明記されている古い御宮様です。創建年代は1200有余年前で、本殿は江戸中期に建造された流造社殿だったが老朽化が激しく、平成12年12月に改築竣工したもの」(大意)
とあるが、1200年前創建というのは根拠不明。他の資料では、ほとんどが創建年代不詳とある。
 ただ延喜式に明記され、鎮座地不変というから、10世紀初頭以前からの古社であることは確かで、当地域の鎮守・氏神として崇拝されてきた神社であろう。

※祭神
 今の祭神は、上記の4柱となっているが、本来の祭神については不明。大阪府全志(大正11年1922)には、
 「祭神詳かならず。天神と称し、今は菅原道真を祀る」
とある。また、当社の古記録・天神宮略記・寛政2年(1790)條には
 「中山大納言様御染筆の天神宮御額、此度出来仕り 御寄付云々」(大意)
とあり、近世を通じて天神と呼称されていた、という(式内社調査報告・1979)
 しかし、天神信仰が流行し、一般神社に道真が祀られるようになったのは後世のことで、延喜式撰上の10世紀初頭には天神社・天満社は存在していない。当社に道真が祀られたのは江戸期・寛永年間(1624〜44)ともいい、明治15年(1882)の村誌では境内末社扱いになっている。

 ただ、村民の間では、「天神さん」というのが一般認識だったらしい。正面(南面)石段を登った左にある古い手水槽には「正徳三癸巳(1713)九月十二日 大上山天満宮」とあり、本殿右手の境内端に菅公ゆかり撫で牛を祀った小祠があることなどが、それを証している。
 しかし、菅原道真は江戸時代に勧請された祭神であって、本来のそれではない。

 またアマテラスとサルタヒコについては、「大正6年(1917)大字逢坂字防谷(清滝街道を東に進んだ奈良県境近くにあったという)の村社・大上神社(祭神:アマテラス・サルタヒコ)を合祀し云々」とあり(大阪府全志)、これまた当初からの祭神ではない。

 残る国常立命(クニノトコタチ)について、大正10年(1921)氏子総代から、
 「本社にクニノトコタチを祀り、他に若宮社としてスガハラミチザネを斎祀した社殿があったことは古文書伝説で確かである。今から百有余年前、若宮社社殿が破損したため、菅公を本社相殿に遷したことから、祭神について誤謬が生じ、クニノトコタチを祀る天神社(アマツカミのヤシロ)を菅公の天神社(テンジンシャ)と誤ってきたので、祭神をクニノトコタチに訂正して欲しい」(大意)
との誤謬訂正願いが神社本庁に提出されており、古く、当社の祭神はクニノトコタチとの説があったことを示している。これにより、その後の神社本庁明細帳には、前記3神に加えてクニノトコタチが記載されたという。

 クニノトコタチとは、天地開闢神話で現れる始原の神々の一柱で、元もとは観念的な存在であって、具体的な事蹟もなく、神社に祀られることも少ない神である。しかし、明治初年の神仏分離あるいは末期の神社統合に際して、それまでの祭神を記紀神話の著名神に変更した神社は多く、当社も同様に、イザナギ・イザナミの6代前の始原の神であるクニノトコタチを祭神とすることで社格を上げようとしたものと思われ、当初からの祭神とするのは疑問である。

 伝承では、当社は古く「大蛇宮」との別名で呼ばれ、「天神宮・大蛇宮」と並記した江戸期の古文書があるという。大蛇宮との名称は、
 「神社の境内地や社前を死者などの不浄かものが通ることが忌諱されていたにもかかわらず、大和郡山の藩士が、武士という権限を笠に着て縁者の葬列を通そうとしたとき、社殿近くから大蛇が現れて一行の通行を妨げた」
との伝承に由来するものという。

 このように当社祭神には諸説があるが、これらは後世の付会であって、当社本来の祭神は、大蛇すなわち龍を農耕に必要な水を掌る水神・農業神として崇拝したものかとおもわれる。

◎社殿
 境内奥の基壇上にある社殿は、上記のように平成12年改築というから、まだ新しい。また本殿右手奥に末社(5座相殿)が祀られている。軒下に掲げられている社名・祭神名は次のとおり。

国中神社・拝殿
国中神社・拝殿
同・末社合祀殿
同・末社合祀殿

 末社(5座合祀殿)−−両宮社(天照大神・豊受大神)・三神社(八幡大神・天照皇大神・春日大神)・稲荷社(稲倉大神)
             八坂社(素戔鳴尊)・吉備社(吉備大神)
 両宮社の2座は、伊勢神宮内宮・外宮の祭神だが、同じアマテラスが本社とは別に末社にも祀られていて由緒不明。各地の神社境内に“神宮遙拝所”を設けている処が多いことからみて、遙拝所を末社化したのかもしれない。

 三神社にはアマテラス・ハチマン・カスガ大神を祀るが、江戸時代に流行したという“三社託宣信仰”によるものであろう。この信仰では、正直・清浄・慈悲という道徳的徳目を伊勢・八幡・春日大神それぞれが託宣したとして、三神像と託宣文を一幅の掛け物に描いて信仰対象にしたもので、庶民教化に用いられたという。

 また八坂神社(祇園社)のスサノヲは、防疫神として祀られたものだろうが、その前身は強力な防疫神・ゴズテンノウを祀ったもので、明治の神仏分離によってゴズテンノウを祀ることが禁止されたため、同じ性格をもつとされるスサノヲに代えたのであろう。

 吉備社の吉備大神は、奈良時代の学者政治家の吉備真備(キビノマキビ)を祀ったというが、勧請理由など不明。           

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