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河内の式内社/高宮大杜御祖神社
               (たかみやおおもりみおや)
大阪府寝屋川市高宮(旧大字高宮字大将軍)
祭神−−天萬魂命(アメノヨロズタマ)
                                                                 2008.12.12参詣

 高宮神社の北東約300mの小丘上にある古社。古くは、現在地北西約100mにあったという(後述)。河内名所図会(江戸後期・1801刊)には「高宮村の東にあり、此所の生土神とす」とある。

 高宮神社前の旧河内街道を南東に、次の角を曲がり小池を右に回り込み疎林の中を抜けた先に大鳥居が立ち、開けた畑の中に参道(地道)が伸びている。当社と高宮社との間は約200m、ほぼ東西に並んでいる。疎林に覆われた境内は広いがその境界不明。境内の背後には住宅が迫っている。

 延喜式神名帳(927撰上)には『河内国讃良郡 高宮大杜祖神社』とあるが、“高宮太神祖神社”・“高宮太杜祖神社”との史料もあり、一定していない。

 祭神の天萬魂命は高宮神社の祭神・天剛風命の父神、そこから高宮神社の“奥の宮”ともいう。また、「祭神詳ならず。当社は前にみゆる高宮神の御祖にして、大杜(オオモリ)といふ所に在しにや」との資料(神社覈録・1870)もある。

 社頭の案内には、「江戸時代には、五穀豊穣を願って牛頭天王(ゴズテンノウ)も祀られていた」とあり、江戸時代に流行したゴズテンノウを祀っていた時期があったらしい。寝屋川市誌(1971刊)によれば、牛頭天王と銘刻した江戸時代の石燈籠2基(1770・1820、江戸中期)があるというが、摩耗のため判読不能。ただゴズテンノウは疫病除けの防疫神であって、これに五穀豊穣を祈るとは解せない。如何なる神様も、祈れば五穀豊穣を与えてくれたということか。

 前面に玉垣を配した社殿域は、拝殿から左右に続く土塀で囲われていて内部の様子は見えない。横からの眺めでは、一間流造の本殿が収まっているらしい。

高宮大杜御祖神社・大鳥居
参道入り口に建つ大鳥居
高宮大杜御祖神社・拝殿
大杜御祖神社・拝殿

 参道の途中に「旧宮居、元大杜御祖神社跡、左50m」との石標あり。その先の畑の片隅に草茫々の一画があり、「元大杜御祖神社跡」との石標が立っている(現社殿から北西約100m余り)。現社殿は、かつての高宮廃寺の西塔跡に建つというから、それ以前の神社跡だろうが、移転時期など詳細不明。

元大杜御祖神社跡・案内標識
旧社地跡 ・案内標識
元大杜御祖神社跡
元大杜御祖神社跡
(真ん中の草地・左手角に石標あり)
元大杜御祖神社跡・石標
元神社跡・石標

◎高宮廃寺
 現神社の境内には、今、『高宮廃寺』と呼ばれている大寺があったという。
 当地の豪族・高宮氏が氏神2社(高宮社・大杜御祖社)とともに氏寺として建立したものとされ、白鳳時代(645--710、平城遷都直前)の建立という。
 当廃寺は、金堂・講堂が南北に並び、金堂前の東西に2基の塔をもつ薬師寺式伽藍だったと推定されている。時期不明ながら平安時代には廃寺となったが、鎌倉時代に再興され、室町時代まで存続したという(社頭案内他)

 その西塔跡に建つのが今の大杜御祖神社の社殿。
 今、社殿裏の疎林に中に、上部に浅い窪みのある石数個が残っている。西塔に使われていた礎石かもしれない。

高宮廃寺・想定復元図
高宮廃寺・想定復元図
高宮廃寺・西塔礎石?
高宮廃寺・西塔礎石?

◎高宮遺跡
 この辺りは、香里丘陵南端の標高30m余りの台地状の土地で、古代の住居遺跡が点在し、参道右手一帯に残る『高宮遺跡』からは、縄文時代の土坑、飛鳥から奈良初期にかけての堀立柱建物跡・竪穴式住居跡などの遺構が発見されている。
 その中には、二間×三間の堀立柱建物跡があり、当時の豪族(高宮氏か)の館とも、大杜御祖神社の初期遺構か、ともいう。
高宮遺跡・発掘復元図

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