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河内(讃良郡)の式内社/須波麻神社
大阪府大東市中垣内2丁目
祭神−−大国主命

 延喜式神名帳(927撰上)・河内国讃良郡六座中に、『須波麻神社(スハマ) 鍬靱』とある式内社。

 JR学研都市線・野崎駅の南東約2.2km(住道駅の東約2.6km)、生駒山地の西麓に位置する。
 野崎駅の山手、野崎観音へ至る商店街を抜け、国道170号線(旧外環状線)のバス停・野崎観音前から南へ約10分弱、中垣内で下車、バス停すぐ先の枝道(参道)を山手(東)へ進むと「式内 郷社須波麻神社」との社標が立ち、参道突き当たりの山麓に神社が鎮座する。大東市内唯一の式内社。

須波麻神社・参道に立つ石標
須波麻神社・社標
(この突き当たりに社殿がある)
須波麻神社/社頭
須波麻神社・社頭
須波麻神社/鳥居
同・鳥居

※祭神
 社頭の案内では「大国主命」となっているが(当社は出雲大社と同体との伝承があるという)、神名帳考証(1733・度会延経)には“木神”とあり、河内式神私考(?)には「久句能智神(ククノチ)、和名抄に云う魑魅、和名須太萬木、是れ山鬼也。私云、此社是れ木霊を祭るか」とうあり、“木の神・ククノチ”を祀るともいう(式内社調査報告・1979)
 明治初年の神仏分離に際して、あまり知られていない自然神・木の神(あるいはククノチ)の代わりに、より著名なオオクニヌシをもってきたのかもしれない(福神=大黒天としてのオオクニヌシへの信仰もあろう)
 なお、ククノチとは、イザナギ・イザナミの神生みによって生まれた神で、“木の神”とされる(古事記)

 当社が鎮座する生駒山地西側は樹木が繁茂する地域で、近くに残る弥生時代の大集落・瓜生堂遺蹟などから出土した大量の農耕用木製品の供給地だったと推察され、山林の守護神として、あるいは伐採された木霊の鎮魂のため、木神を祀ったのが当社の始原であろう。

※鎮座由緒
 社頭の案内によれば、
 「平安時代の延喜式神名帳に記載されている式内社で、本市では唯一のもの。旧讃良郡六座のうちの一座で、古くは讃良郡から若江郡(現東大阪市の一部)に至るまで、数十ヶ村の氏子をかかえていたといい、明治6年(1873)には讃良郡内11ヶ村の付属郷社になった。・・・、現在は中垣内一村の産土神である」
とあるが、創建年代は不明。
 ただ、当社の所在地・“中垣内”は天正12年(1584)の古文書が初見だが、“垣内”(カイト)の起源は奈良時代に溯るというから、その頃にはあったと推察される。

 延喜式に“鍬・靱(ユキ:矢を入れて背に負う武具)”とある。祭祀にあたってクワ・ユキが下賜されたことを指し、かつて農耕や武事に対して祈りを捧げたことに起因すると推察されている。

 案内に「古くは讃良郡から若江郡に至るまで、数十ヶ村の氏子をかかえていたといい、・・・明治40年9月には神社合併(政府による神社統合政策)で大谷神社(寺川)、龍間神社(龍間)、座摩神社(深野南)の3社が合詞されることもあった」ともあり、讃良郡内では高宮神社(大社 月次・新嘗)に次ぐ社格をもっていたと思われる。今は、中垣内地区のみの産土社。
 ただ、当社に関する資料は散失しているとかで詳細は不明。

※社殿
 石段上の鳥居をくぐった先に拝殿が建ち、その背後、築地塀で囲まれた神域に春日造の本殿が建つ。現在の社殿は明治36年(1903)造営というが、管理が行き届いているようでまだ新しく見える。境内はそんなに広くないが、全体として清楚な雰囲気が漂っている。

須波麻神社/拝殿
須波麻神社・拝殿
須波麻神社/本殿
同・本殿


※末社他
◎稲荷社
 社殿左にある小祠。いわゆる“赤い鳥居の稲荷”とのイメージには遠く、祠中の置かれた2匹の狐でそれと知る程度。

 なお、境内右手に朱塗りの鳥居に社域を朱の木柵で囲んだ稲荷社がある。社域を異にするから別社と思われる。
須波麻神社/末社・稲荷社
末社・稲荷社
別社・稲荷社
別社・稲荷社
◎おかげ燈籠
 社殿石段下に立つ石燈籠。
 社頭の案内では、近くの東高野街道筋から移設したものという。
 社標と道標を兼ねたもので、
   正面に“太神宮 東 なら・木津”、
   右面に“西 大坂 文政十三年(1830)庚寅十二月”、(大阪の阪が“坂”になっている)
   左面に“南 高野山 世話人・・・”とある。
 “おかげ燈籠”とは、江戸時代に流行した“伊勢お蔭参り”にからんで立てられた燈籠で、正面の太神宮とは伊勢神宮を指す。文政13年はお伊勢参りが大流行した年で、多くの人が伊勢に向かったという。
 多分、この辺りの人がお伊勢参りしたことを記念して立てたものと思われ、珍しいものである。
須波麻神社/社頭のおかげ燈籠
おかげ燈籠

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