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河内の式内社/高宮神社
大阪府寝屋川市高宮(旧大字高宮字一方町)
祭神−−天剛風命(アメノコカゼ)
                                                                 2008.12.12参詣

 京阪本線・寝屋川市駅の東約1.6q、閑静な住宅地内を通る旧河内街道の北側に鎮座する。旧街道との角に「郷 式内高宮神社]との石標が立つ。

 当社は、延喜式式内帳(727撰上)に『河内国讃良郡 高宮神社 大 月次新嘗』とある式内社だが、創建年代は不詳。讃良郡唯一の大社として、清和天皇・貞観元年(859)従五位上の神階が授けられている(三代実録)

 住宅地の一画に低い石垣で囲まれた境内は狭く、かつての讃良郡一の宮の面影はない。石段を登ったすぐに建つ拝殿から左右に巡らされた回廊の囲まれた神域内部の様子はほとんど見えない。
 古く、隣接(旧街道側)して「玉松寺」なる神宮寺があったというが、明治の神仏分離で廃寺となり、今は普通の住宅。ただ玄関に注連縄が張られているから神職の宅か。

 祭神・天剛風命(アメノコカゼ、別名:天剛川命アメノツヨカワ)は、当社の北東約300mにある『高宮大杜御祖神社』(タカミヤ オオモリミオヤ、奥宮ともいう)の祭神・天萬魂命(アメノヨロズタマ)の御子神という。親子の神を別々の社に祀ることでは賀茂の上社・下社と同じ。“若宮神社”ともいう。

 ただ、アメノコカゼ・アメノヨロズタマなる神は記紀には見えず、先代旧事本紀(10世紀初頭に成立した物部氏系史書)・神代本記に、
  「七代イザナギ・イザナミ (中略)、次に萬魂命、児天剛川命は高宮神主の祖」
とあるのみで、その詳細不明。神祇志料(1871・明治初期)には
 「萬魂命の児・天剛風命を高宮神主の祖とす。是により本社天剛風を祭るに似たり」
ともあり、この辺りを勢力圏としていた高宮氏一族が祀った祖神だろうという。

 アメノヨロズタマ・アメノコカゼを祀ったという高宮氏もよくわからない氏族だが、日本書紀・神功皇后5年条に、
 「葛城襲津彦は新羅に行き多大浦(タタラノウラ)に陣し、草羅城(サワラ)を攻め陥して還った。このときの浮人(トリコ)たちは、今の桑原・佐糜・高宮・忍海などの四つの村の漢人らの先祖」
とあることからみると、渡来系氏族と思われる。
 また新撰姓氏禄・逸文に、仁徳天皇の御世に渡来した二十氏族の中に高宮村主(スグリ)なる一族が記されているという。

 当社が鎮座する高宮の北西に“太秦”(ウズマサ・渡来人の有力氏族・秦氏に関係する地名)の地名があることからみて、この辺りには古くから渡来人の居住地で、高宮氏もそのひとつであろう。ただ渡来系とすれば、旧事本紀で天つ神系とすることとは平仄があわないが、渡来系氏族で先祖を天つ神に求めた事例は多く、高宮氏もそのひとつかもしれない。

高宮神社・社標
旧街道角に立つ社標
高宮神社・社頭
高宮神社・社頭
高宮神社・本殿
同・本殿(一間流造)
(瑞垣で囲まれた神域内は詳細不明)

追記(2008.12)
 当社は、渡来系の高宮氏(高宮村主)が奉斎する神社と記したが、高宮村主は大和国葛上郡高宮郷(現奈良県御所市付近)に係わる氏族であって、河内にいたとする文献は見当たらない。また高宮とは、祭祀氏族をいうのではなく“高い処にある祭祀の場”という意味だとの説がある(「日本の神々4」)

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