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長 田 神 社
滋賀県高島市永田
主祭神--事代主神
相殿神--天鈿女命

                                                           2017.04.16参詣

 延喜式神名帳に、『近江国高嶋郡 長田神社』とある式内社。

 JR湖西線・近江高島駅の北約1.5km、駅西を南北に走る道路を北上、県道296号線を越えた右(東側)に鎮座する。
 境内には、南側の小道を回り込んだ東側から入る。

※由緒
 境内に案内等なし。
 神社明細帳によれば、
  「本社は天安2年寅歳(858)の創立と伝ふ。延喜式神名帳記載神社。
 御祭神は事代主神一柱なりしも、某年三尾川洪水のため、三尾神社流れて社頭に留まる。里人御神体を事代主神と同殿に奉遷奉斎す。
 永禄元亀(1558--73)の兵過にて社蔵の古器・古文書等散失す。社殿等の頽廃せるを天正年中修補せり。
 昭和9年(1934)9月21日大暴風雨のため社殿其他建物倒壊し、拝殿並に籠屋のみ残る。・・・昭和11年(1136)4月15日社殿其他再新築竣工」
とあり(式内社調査報告5)、創建由緒等は不記。

 また、高島郡誌(1927)には
  「村社 大溝町大字永田に鎮座す。永田の氏神なり。祭神天鈿女命。旧三尾大明神と称す。
 某年、水尾神社の河北社洪水の為流れて当社社頭に留まる。里人等其の神璽を長田神社に遷し祀り、後、水尾神社河南社に遷座し奉ると伝ふ。即ち拜戸村の水尾神社の分神なり。
 本社を長田神社と称すれども、或いは別にありて既に廃絶したるものなるべし。
 社伝 永禄元亀(1558--73)の兵乱に社頭衰頽したるを、天正年中(1573--92)氏子等社殿等を修補して奉祀すと」
とある。

 両資料共に相殿神・天鈿女に関することのみを述べ、式内・長田神社に関する由緒等は不記載。
 加えて、高島郡誌は“長田神社は既に廃絶したか”として、当社が式内・長田神社であることに疑問を呈している。

 洪水により御神体が流れたという三尾神社とは、三尾川(現和田打川)上流北岸に鎮座していた水尾神社・旧河北社を指すが、この社は昭和34年の伊勢湾台風で被災し、同45年以降、水尾神社本社(河南社)内に合祀されている。
 両資料がいう某年の洪水とは伊勢湾台風時の洪水のようで、郡誌の記述からみると、一旦当社に合祀し、後に本来の神社である水尾神社へ遷座したともとれる。

※祭神
  主祭神--事代主神(コトシロヌシ)

 事代主神とは出雲の大神・大己貴神(オオナムチ=大国主神)の御子を指すが、元々は大和の葛城を出自とする託宣の神で、当社が事代主を祭神とする由緒は不明。

 ただ、神名帳考証(1733、度会延経)には、  
  「長田神社 在永田村 事代主命 姓氏録に云ふ 長公 事代主命の後也」
とあり、長公氏が当社祭祀氏族ではないかという。

 長公氏とは、新撰姓氏録に
  「和泉国神別(地祇) 長公 大奈牟智神児積羽八重事代主命之後也」
とある氏族だが、姓氏録以外にみえず、また長公氏が当地に居住していたとの資料もなく、また当社との関係も不明で、祭祀氏族から当社祭神を推測することはできない。

 相殿神--天鈿女命(アメノウズメ)
  某年(昭和34年か)の和田打川洪水の時、上流から流れ着いた水尾神社(旧河北社)の祭神を合祀したものという。
  今、旧河北社は水尾神社本社(旧河南社)に合祀されているが、その祭神は継体天皇の母・振姫とされる。
  しかし、古くは天鈿女命とする伝承があったといわれ、当社が天鈿女命を合祀するのはこの伝承によるものと思われる。
  (水尾神社は河南社・河北社からなり、古くは河南社に猿田彦命、河北社に天鈿女命を祀っていたという伝承がある。別項:水尾神社参照)

※社殿等
 道路脇の鳥居を入り、石畳の参道を進んだ先に拝殿(入母屋造・銅板葺)が、その奥、唐破風造中門・板塀に囲まれた神殿域の中央に三間社流造・銅板葺きの本殿が、いずれも東面して鎮座する。

 
長田神社・鳥居
 
同・拝殿
 
同・本殿域正面

同・本殿域 
 
同・本殿

◎境内社
 境内右手(北側)に、境内社4宇が南面して並ぶ。
 奥から、神明社(祭神不明)・高麗社(祭神不明)・天照皇大神宮・伊邪那美社、鎮座由緒・年代等不明。

 
境内社・高麗社

同・神明社 
 
同・左:天照皇大神宮
右:伊邪那美神社

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