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天 皇 神 社
滋賀県大津市和邇中
祭神--素戔鳴尊
                                                            2016.12.21参詣

 JR湖西線・和邇駅の南西約900m。和邇駅の南・線路から斜め右に伸びる道を南へ直進、和邇小学校を過ぎた先、注連縄を張った石碑(前に天皇神社⇒との道標が立つ)が立つ辻を右(西)に進んだ先に鎮座する。式外社

※由緒及び祭神
 境内の案内には、
  「天皇神社の創建は、社伝によれば康保3年(966・平安中期)と伝えられ、元は和邇牛頭天王社(ワニ ゴズテンノウシャ)と呼ばれていましたが、明治9年(1876)天皇神社と改称されました」
とあるのみで、詳しいことは不明。

 江戸中期の地志・近江輿地志略(1734)には
 【牛頭天王社】  中庄にあり、鎮座の年記詳ならず。古老所伝の一巻あれども、鄙俚の詞にして実説と採用すべき義なし。
 土俗相伝ふ、此神往古は大梵天王と号す、木下村田畑の中に遙向あり、其後に今の社地へ遷すと。
 又一説に云ふ、今の最勝院の境内獅々ヶ森といふ処へ天王獅子に乗りて天降り給ふ。其後今の社地に祭る。本地は薬師如来なりといふ。
 以上の説信用し難し。按ずるに、所祭の神・素戔鳴尊にして牛頭天王也。素戔鳴尊を牛頭天王と申し、武塔天王と申し奉る説は簠簋内伝(ホキナイデン)・備後風土記等に出たり。

 此社中世まで大梵天王と号し、今の木下村天王と字する田の処にあり。其後今の社地に遷し、近世まで大梵天王と号しき。其後浄有公圓満院常尊公に乞うて牛頭天王と改む。・・・(中略)・・・
 窃に考ふるに、土俗の大梵天王と唱へしは大宝天王(牛頭天王の別名)を誤たる也べし。大宝と大梵と音の近きによって文字も書き誤り伝へたるなるべし。
 大宝天王なりしといふ説は当国粟太郡総村に大宝天王社あり。疑らくは此の大宝天王神を此処へ勧請せし也。初め木下村の天王といへる地へ勧請し、後此社地へ遷し奉りし事明けし。
とある。

 これによれば、近世までの当社は疫病除けの神・牛頭天王社であって、明治の神仏分離に際して牛頭天王が邪神として排斥されたため、社名・天王(テンノウ)を同じ読みの天皇に改称し、祭神を同じ神格(防疫神)をもつ素戔鳴に改めたのであろう。

※社殿等
 注連縄を張った石碑(道標)が立つ角を右(西)に進んだ先に鳥居が立ち、参道を進んで境内に入る。
 境内正面に舞殿(拝殿兼用か)が、その奥に茅葺きの本殿が建つ。
 本殿について、社頭の案内に
  「神社本殿は流造(ナガレヅクリ)が多い中、天皇神社本殿は全国的にも稀な切妻造・平入りの本殿で、県内の重要文化財では、近隣の小野神社境内社・篁神社本殿と、小野神社飛地県内社・道風神社本殿を加えて3棟にすぎません。

 建物の規模は、正面(桁行)三間・側面(梁間)二間で、前面に一間の庇(向拝)を付けます。
 正面中央間と右側面を弊軸構板戸両開きとし、屋根の勾配が著しく緩い点が、他の2棟とは異なります。

 現本殿は、小野神社職務歴代史に『正中元年二月三日和邇牛頭天王社創建釿(カンナ)始同年十二月十九日上棟式』云々とあり、正中元年(1324・鎌倉末期)の建立と考えられます。(以下略)
とあり、堂々たる構えをしている。

 
天皇神社・石碑(兼道標)
 
天皇神社・鳥居 
 
同・舞殿
 
同・本殿

 本殿の左右に末社5社が鎮座する
  ・本殿右--若宮社・大国社(小祠)
  ・本殿左--樹下社・松尾社(小祠)・三宮社
 いずれも社名のみの標示で祭神・由緒等は不明。

 
若宮社
 
大国社(小祠)
 
樹下社
 
松尾社(小祠)

三宮社(右は松尾社) 

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