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スペイン/ガウディ点描
                                                       *スペイン紀行から 2001.07 

 スペイン・バルセロナ観光の目玉のひとつにアントニー・ガウディ(1852〜1926)の作品群があり、市内には、工事中のサグラダ・ファミリー(聖家族)教会をはじめとして幾つかの建造物を見ることができる。

 19世紀末のヨーロッパでは、フランスのアール・ヌーポーに代表されるような芸術運動が流行したが、それと機を同じくするように、スペイン・カタルーニャ地方でもバルセロナを中心として“モデルニモス”と呼ばれる運動が起こった。スペインのモデルニモスは、他国のそれが芸術、特に建築・絵画・装飾・工芸を中心とした文芸活動であったのに対して、政治・社会運動としてのカタルーニャ・ナショナリズムと文芸活動としてのカタルーニャ・ルネッサンスとが一体化した広範な近代化運動であったところに違いがあつたという。
 このモデルニモスを可能にしたのが、スペインで例外的に産業革命を成功させブルジョア都市に変貌したバルセロナの自信と実力であり、経済力という実力をつけたブルジョワ階層によって繰り広げられた新しい建築・モデルニモス建築運動で、その代表がガウディである。

※サグラダ・ファミリィ贖罪教会(聖家族教会)
 サグラダ・ファミリィはバルセロナ新市街地の北方に聳えている教会堂で、たぶん、ガウディーの最高傑作として後世に残る作品であろう。ここで未来形で記したのは、1882年の着工以来1世紀以上たった今でも工事が続けられているためで、聞いたところでは“あと50年は必要”という。
 この教会は、バルセロナの聖ヨセフ信仰者協会の会長だったホセ・マリア・ボカベーリャ氏の発案によるもので、最初の総監督ビリヤールが依頼主との意見不一致で辞任したあとを引き継いで、今見られるような一見異様な教会へと変身させたのがガウディである。

 サグラダ・ファミリィといえばトウモロコシを立てたような円錐形の塔で有名だが、全体構想では総計18本の塔が建つという。聖堂中央部には、主キリストを象徴する主塔(180m)と聖母マリアと4人の聖書記者に献げられる6本が建ち、西(正門)・北・南の門には12使徒を表す12本の塔(107m、各門に4本ずつ)が建つという。天に向かって建つ18本の楼をもつ聖堂、それは中世ゴシック建築が目指した理念の繰り返しであり、現代版ゴシックということができる。また全体が完成したときには、各塔には音階の異なる数十個の鐘が取り付けられるという。50年後、18本の鐘楼から聞こえてくるハーモニーを聞きたいものである。

 訪れたとき、聖堂は北の“生誕の門”と南の“受難の門”がほぼ完成し、中央部と西の門での工事が続いていた。
ガウディ・聖家族教会・全体構想
全体構想(絵葉書)

◎生誕の門
 聖堂北面(正確には北東面)の門で、「生誕の門」というように、そのメーン・テーマは“イエス誕生”である。この門は、真ん中が最も高い円錐形をした3ッの出入り口と、その上に立つ4本の塔(これ以外に真ん中に低い塔が立っている)で構成され、3っの門は、左から“望徳の門”・“愛徳の門”・“信徳の門”と名づけられている。ファサードは人物・動植物あるいは聖なるシンボルなどの彫像群で覆われているが、資料によれば、イエスの誕生から幼年期・青年期にかかわる23場面と10個のシンボルからなるという。
 ガウディが残したコンセプトによれば、ファサード中央の“愛徳の門”は、「人生の希望と喜びの表現がメイン・テーマだが、聖堂への出入り口であるとともに、ベツレヘムの洞窟(馬小屋)への入り口をも象徴している」とのことで、その中心となる彫像は、入口中央の柱の真上にある“愛児イエスを指し示す聖母マリアと、その母子を見守る父ヨゼフ”である。その左右には、イエス誕生を祝福する三博士と羊飼いが見え、上では天使たちが祝福の音楽を奏でている。
 イエス生誕場面の上には、中央軸に沿って“受胎告知”の場面が、最上部には天国の女王としての“マリア戴冠”の場面が彫りこまれ、その上にはイトスギをモチーフにした尖塔が立っている。因みにイトスギとは“決して腐らないもの”を意味するという。

が阿ディ・生誕の門・全景
愛徳の門・全景
ガウディ・生誕の門・彫像群(上部)
彫像群・上部
(楽を奏でる天使)
ガウディ・生誕の門・彫像群(下部)
彫像群・下部
(下段中央:イエス生誕・
 左:三博士・右:羊飼)
ガウディ・生誕の門・マリア戴冠
最上部・マリア戴冠
ガウディ・生誕の門・イエス生誕)
中央柱の上・イエス生誕

 中央の愛徳の門がイエス生誕による希望と喜びを表すのに対して、左側の“望徳の門”は逆境のイエスを表しているとみえる。そこには“ヘロデ王による幼児虐殺”とか“エジプトへの逃亡”といった幼児イエスに加えられた弾圧の場面が目をひく。ただ、これらの場面の上部には“マリアの結婚”・“賢者と語るイエス”など希望を示唆する場面も見える。キリスト信者たる者、逆境にあっても希望を失うなということか。

 右側の“信徳の門”はカトリックの主要な教義を表している。そこにあるのは“三位一体”とか“神の摂理”といった教義の象徴であり、“無原罪の宿り”・“マリアのエリザベート訪問”といった、マリア信仰にかかわる場面である。

ガウディ・生誕の門・3入口
生誕の門・3っつの入口
(左から、望徳・愛徳・信徳の門)
ガウディ・望徳の門
望徳の門
ガウディ・信徳の門
信徳の門

◎受難の門
 生誕の門の反対側・南側の出入り口が「受難の門」で、名のとおり、“磔刑のキリスト”をメイン・テーマとする。門の上に立つ4本の塔は同じだが、全体のイメージは生誕の門と異なる。
 まず目に付くのは、ファサード前面を覆う切妻形のやや湾曲したシェルターであり、それを支える6本の細い柱である。柱といえば垂直に立つのが普通だが、ここの柱は足下を外に向かって斜めに突き出し、それは足を踏ん張って何かを支える巨人の足をイメージさせる。
 ファサードを飾る彫像群の中心は、中央最上部の“磔刑のキリスト”で、その周りに“最後の晩餐”・“ユダの接吻”・“十字架を担ぐイエス”・“十字架降架”・“嘆きのマリア”といった、イエス最後の一週間の出来事を表す場面が配されている。

ガウディ・受難の門・全景
受難の門・全景(資料転写)
ガウディ・受難の門
受難の門
ガウディ・受難の門・彫像群
受難の門・彫像群
ガウディ・最後の晩餐
最後の晩餐
ガウディ・磔刑のキリスト
磔刑のキリスト
がうでぃ・キリスト埋葬
キリスト埋葬

 受難の門のファサードを飾る彫像群は、現代の彫刻家ジュゼップ・マリア・スビラクスが担当している(1988以降の製作)。スビラクスの彫像は、荒削りの角張った人物像・最小限に留められた顔の表情など、抽象とも具象ともつかない独特のフォルムをもっている。そんな人物像が石積みの各処に配されているファサードは、具象彫刻で飾られた生誕の門のそれとはまったく異なった印象を与える。彼を登用することには、当所から賛否両論があったというが、完成した彫像群を見るとき、キリストの受難を強烈にアピールするには、これら個性的な人物像が似つかわしいともいえ、ガウディーの構想には相応しいかもしれない。

◎栄光の門

 聖堂西側の門は『栄光の門』と名づけられているが、いまだ工事中である。。
 一般に西門は聖堂全体の正門になるものだが、ガウディの構想では、この門は“死・最後の審判・地獄・栄光”という“死後の人間に下される四つの大事”を象徴する門として、他の門より華やかな色彩に彩られ、生誕・受難の門より背の高い塔をもつものになるはずだったという。
 この門は今、聖堂の主体となる中央部とともに工事が続けられているが、それが完成した暁には、聖堂中央部に聳える6本の高塔とともに、人間イエスの十字架上の死によってもたらされた、救済の宗教・愛の宗教としてのキリスト教のすべてを語るものになるはずという。

 先述のように、サグラダ・ファミリー教会は着工後百余年を経過した今でも工事が続けられている。それはヨーロッパ各地に残る大聖堂が数世紀にわたって建設されたのと同じで、その意味では最後の大聖堂ということができる。
 また聖堂建設の財源は見学者の入場料と各般からの寄付によってまかなわれ、これまて、完成にはあと200年とも100年ともいわれていたが、近年のコンピューターによる構造解析の発達で、あと50年ほどで完成するのでは、という。
ガウディ・栄光の門・全体構想
ファサード構想図
(資料転写)


※グエル公園

 グエル公園は、サグラダ・ファミリー教会の北約2.5qにある、標高200m足らずの丘の傾斜地に広がっている。今は公園となっているが、本来は19世紀末繊維業で財をなした新興ブルジョアの一人グエル伯爵(ガウディ最大の後援者)が、英国留学で学んだ庭園都市論を許に5haという広大な敷地全体を対象に、自然環境を保持しつつ60区画の高級分譲宅地を開発し高級住宅を提供しようとしたのがはじまりという。
 この構想は、それ自体があまりにも時代を先取りしたものだったこと、馬車しかなかった当時に都心から3〜4qという遠距離だったこと、建てられた建物(3棟が建てられた)が奇抜すぎたことなどから評判はいまひとつだったようで、折からの第一次世界大戦で中断されたという。

 この公園の基本パターンは曲線である。単純な直線的造形はほとんど見えず、すべてが曲線あるいは曲面で造形されている。さまざまな曲線を組み合わせ、その上に細かく砕いた色つきタイルを貼り合わせたお伽の国のような正面入口といい、ギリシャ風神殿の列柱に支えられた人工広場の外周に蛇行する手すりやベンチといい、土地の起伏を生かした人工的な遊歩道や陸橋といい、すべての造形が奇抜な形状と多彩な色彩をもって迫ってくるが、それらはガウディ特有の人工物と自然との調和という理念を許に造られたものという。ただわれわれの感性からいうと、これをもって自然との調和といわれても違和感を覚える。

●公園の中心となる大広場、−−86本のギリシャ風円柱で支えられている人工広場
ガウディ・グエル公園−1
蛇行するパラペット
ガウディ・グエル公園−2
人工広場を支える柱と天井装飾
ガウディ・グエル公園・装飾タイル
装飾タイル
●公園入口付近−お伽話の国へようこそ
ガウディ・グエル公園−3
階段上からの景観
ガウディ・グエル公園・入口付近
入口の景観
ガウディ・グエル公園−4
トカゲのモニュメント


※カサ・バトリョ

 バルセロナの中心カタルーニャ広場から、北へ延びるグラシア通り西側にあるガウディ作の建物。この街区は、モデルニモス建築を代表する3人の建築家(ガウディ、モンタネール、カダファルク)の作品が軒を並べることで知られている。その街区の中ほどを占めるのがガウディとカダファルクの建物で、両者は何かと比較されるという。1906年建造。
 ガウディのパトリョ邸は、正確にいえば古い建物の改築で、隣地に建てられた建物に刺激された所有者が、ガウディに「隣に負けない建物を」と依頼して建てたものという。改築といっても、ガウディは全面的に手を入れたようで、2階部分の卵形に張り出した部分と波打つ庇、3階以上のバルコニーを飾る中世騎士の兜のような鍛造製の手摺り、塔頭を飾る十字形の風見などは、中世を念頭において近世を演出するガウディならではの自負の現れだという。
 この建物の一番の見所は、その波打つ壁面と屋根を彩るセラミック片、色ガラス片をふんだんに使った噴水である。建物全体が光を浴びて時間とともに変化するさまは、この建物の基本テーマである“海”そのもので、地中海沿岸に寄せては返すサザナミの変幻きわまりない煌めきを味わわせてくれるというが、訪れた日は曇天で、その景観はみられなかった。
ガウディ・カサ・バトリョ邸

※カサ・ミラー

 カサ・ミラー邸は、バトリョ邸の数ブロック北に建っている。グラシア通りの東側の角地に立地するミラー邸は、その奇抜な外観から“ラ・ペトレーラ”(石切場)と渾名されるように、カタルーニャ地方に多い不思議な形をした岩山を連想させる奇想天外な外観をもっている。1910建造。
 6階建ての建物は、各階を区切るバルコニーが波打ちながらくねくねと連なり、その間に居宅の窓が出たり引っ込んだりして開いている。バルコニーの鉄製手摺りは複雑に絡みあった海藻を連想させ、どれ一つとして同じものはない。
 このバルコニー部分を見る限り、そこからイメージされるのは“波のうねり”だが、壁面全体が大きくうねりながら立ち上がっている有様は、石切場との渾名の通り、巨大な岩山が目の前に迫ってくる迫力を感じさせる。
ガウディ・カサ・ミラー邸

 ピカソ、ミロ、ダリといったモデルニモスの騎士たちはパリで有名になったが、ガウディは生涯をバルセロナで過ごしている。というわけで、今のバルセロナには、ガウディの作品がガイドブックにあるだけで10棟を数える。
 そのようなアントニオ・ガウディは、奇抜な作品を残した面白い建築家というより、多方面に精通した総合芸術家と呼ぶべき存在で、世紀末という時代が生んだ鬼才の一人といってもおかしくない。しかし、これらをわが国にもってきたとしたら、その自然あるいは街並みに馴染むかどうかは疑問である。

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