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スペイン点描-1にリンク

スペイン点描-2
ロンダ・ミハス・マガラ・フィゲラス(ダリ劇場博物館)・フラメンコ

 スペイン点描-1に続いて、スペインの小観光地で見聞きしたものを記してみる。

※ロンダ
 スペイン南部の内陸部にある小都市。
 資料によれば、ロンダの起源は紀元前6世紀、ケルト人の集落として始まり、ローマ統治時代には砦が造られるなど、それなりの集落都市だったようだが、詳細は不詳。

 人口4万弱というこの町は新旧二つの市街地からなり、その間をグアダレビン川が約100mほどの深い峡谷の下を流れ、その絶壁上に架けられた3本の石橋(ヌエボ橋・ローマ橋・アラブ橋)によってつくられた景観が人々を引きつけている。

 旅では、新市街地の観光商店街といった通りを歩いてヌエボ橋までを往復しただけだが、そこには
 アンダルシア特有の青い空に連なる白壁の町並みがあり、訪れたヌエボ橋下の白波をたてて流れる深い峡谷、その両側をえぐる絶壁上に架けられた3連アーチの石橋は、それなりに一つの絵になる景観というが、時間がなく、橋を渡った対岸の旧市街地には行けなかった。

 旧市街地は、レコンキスタ時代のイスラム教徒によって興されたグアダレビン川の深い峡谷を盾とすることでて守られた小王国だったようで、旧市街地には当時の面影が残っているかもしれない。ただ、そこまで入り込んで情報をもたらしてくれる物好きはいない。

 
   
 この町は近代闘牛発祥の地という。
 通りの一画に直径100m強ほどの円形フィールドをもつスペイン最古の小さな闘牛場がある(1785年造)

 我々は、闘牛とはスペインの国技みたいなもので、スペイン人のほとんどが好むものと思っているが、
 ガイドの話では、闘牛は南部アンダルシアを中心とするもので、南部では各地を転戦する闘牛士を追っかける人もいるが、北部ではそれほどではなく、嫌いという人もいるという 


※ミハス

 オプション小旅行が成立せず、添乗員に頼んで行った“太陽の海岸”(コスタ・デ・コス)近くの山手にある小さな町がミハスで、マガラの中心駅から鉄道で海浜観光地フェロンジローナまで約40分、そこからバスで山手の方に約15分ほどで着く。

 ミハスは、山の中腹にへばりつくような小さな町で、立地上、坂道と階段が多いのは当然としても、地形にあわせて白壁の家々が立ち並び、その間を細い路地が入り組んでいる。
 観光客相手の土産物店が軒を並べている坂道の町並み(緩急とりどり)、色とりどりの天幕を張りだした食堂が並ぶバス停前の小さな広場(ロバの馬車が客を待っている)、これらはぶらぶら散策しながら旅の中休みを満喫するには格好の町といえる。

 この町は別荘地として開発されたというが、今、それらしき雰囲気はみえず、観光地として生きているとみえる。日本人観光客も多いようで、そんな町の一画に若い日本人の夫婦が手作りの土産物店を開いていた。今どうしておられるかは不明だが、そこで頂いた日本語の案内地図は重宝した。


ガイドブックによく載っている
ミハスの町並み(ビューポイント)
   
     

 また、広場家並みの反対側にある展望台脇には、岩場をくりぬいた洞窟内に小さな祠があり、多くの花と蝋燭で埋められたマリア像が祀られている。

     


※マラガ

 アンダルシア地方の港町で、紀元前1000年頃、フェニキア人によって町が開かれ、ローマ時代・イスラムをとおして地中海交易で栄えたという。
 また、スペインが生んだ偉大な画家ピカソの生誕の地というのが売り物だが、今は太陽の海岸観光の足場として栄えている。

◎カテドラル
 町の中心地、旧市街地の入口にある大聖堂で、短い時間を作って夕刻に訪れた時は丁度日曜日のミサが終わったときで、退出する人々と入れ違いに入った大聖堂は、中央祭壇や小礼拝堂に火が入りミサの余韻を漂わせていた。
 その火が順次消されて、聖堂独特の薄明るさが戻ってくる、差し込むのはステンドガラスからの自然光だけ、そんななかで数人の人たちが静かに祈っている。
 それは、キリスト教・仏教の違いはあれ、宗教のもつ荘厳さと厳粛さを感じさせるひとときであった。

       

 港近くに突きだした丘の先端に“アルカサバ”と呼ばれるイスラム時代の城塞跡がある。今は、城壁と砦とが残されているだけの古城であり、だいぶ荒れている。
 中を歩いても、これといったものはないが、城壁の上からはマラガの町とその先の地中海が一望でき、戦略上の絶好地に築かれた要塞といえる。


※フィゲラス
 フランスとの国境近くにある小さな町で、サルバドール・ダリ(1904--89)の生誕地であり終焉の地でもあり、ダリが自ら造った美術館がある。

◎ダリ劇場美術館
 美術館の正式名称が『ダリ劇場美術館』というように、まず外観から目立っている。臙脂色(エンジイロ)というか赤茶色というか、ややくすんだ赤色に塗られてた外壁には、黄色い三角形の突起物が縦横整然と並び、屋上には真っ白い卵形の飾りと裸の人物像が並んでいる。

 そのパターン化された赤と黄・白とのコントラストは、普通の美術館のイメージを完全に無視し、「ここはダリの美術館だぞ」ち精一杯主張しているようで、管内に入る前から異様な精神状態へと誘ってくれる。

 なお、壁についている三角形の飾りは、キリスト教の根本教義「三位一体」を表したものというが、異教徒の私には、不謹慎ながら“狸の腹鼓”・“安物の菓子パン”を連想させるものともいえる。

     

 中庭に入ると、黒々とした大きな女神像が迎えてくれる。豊かに盛り上がった二つの乳房、巨大な腰と臀部をもった女神・“深い記憶の女神ムネモシュネ・エスター”が両手をひろげて、自動車のボンネットに上に立っている(下の左写真)
 車の中を覗くと雨が降っている。車の外で降るのが雨のはずなのに、ここでは車の中に雨が降っている。
 同じことが車の後ろに立つ柱の上の小舟にもいえる。水の上にあるべき舟が空に登り。その舟底から水が滴っている。 
 これらがダリ特有の“倒錯の世界”かもしれない。

 振り返ると、入口の上部両側に流木を集めて造ったようなオブジェが掛かっている(下の中・右写真)
 よく見ると、上は人間の顔から胸のように見え、下にみえる窪みと突起は陰・陽を表しているようで、これは人間の姿を模したオブジェであろうが、ダリが何故こんなオブシェを作ったのかはわからない。

   

 この中庭だけでもいろんな仕掛けがあり、いろんな作品が並んでいるが、3階建ての館内すべてがダリの絵画・彫刻・オブジェなどであふれている。
 例えば、ある点に立って眺めると“裸婦の後ろ姿”と見えるが、場所を変えると“リンカーンの顔”に変わる。いわゆる“だまし絵”である。


だまし絵(裸婦の場面) 
 
風の宮殿
 
セックス・アピールの亡霊

 ダリの作品は過去にも数点見たことがあり、その原画・原点があふれているのがこの美術館といえるが、目の前にある一枚の絵が何故このようにゆがんで描かれねばならないのか、主題の周りに描かれている異様なものが何を意味しているのかなど不可解で、これらが普通の絵画なのか、風刺画・カルカチュウなのか、ただ呆然として管内をうろうろしただけであった。


※フラメンコ

 フラメンコはスペインを代表する民俗芸能・大衆芸能だが、スペイン民衆の中から生まれたスペイン固有のものではなく、ジプシー(差別呼称とされ、今はロマと呼ばれることが多い)によって15世記頃に持ち込まれものという。
 それがアンダルシア地方に伝わる舞踏音楽と合わさって、ジプシー流に編曲・振り付けられたのがはじまりだという。

 我々にとってのフラメンコとは、時には激しく時にはもの悲しく奏でられるギターにのって、手をたたき、カスタネットを打ち鳴らし、激しくタップを踏む情熱的な踊りと受け止められているが、本来はカンテと呼ばれる歌が根底であり、そこには人生の喜びと悲しみが切々と歌い込まれているという。

 そういう意味では、フラメンコには決まった歌詞や楽譜は不要であって、興がのるままに奏でられるギターの音にのって、その時々の想いを唄い且つ踊る、そんなアドリブショーが本来のフラメンコであって、そこで語られる時勢の喜怒哀楽を我が想いとし、それがどのように奏でられ踊られるのか、その中に浸りきることがフラメンコ観賞の極意だという。

 セビリアで鑑賞したフラメンコの中から幾枚か。激しく動きながら突然静止するためシャッターチャンスをつかむのに難儀した。

   
     
     

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