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*スペイン紀行から2001.07

スペイン/黒いマリア

 スペイン・カタルーニャ州都バルセロナから西北約50qにモンセラートと呼ばれる小山脈がある。
 すぐ北にフランスとの国境がある。のどかな田園地帯に忽然とそびえ立つ山塊(延長約10q、幅約5q)で、遠望すれば鋸の歯を立てたようにみえる。
 ゲーテが“魔の山”と呼び、ワーグナーがオペラの楽想を得、ガウディーがサグラダ・ファミリーの構想を得たといわれる奇景で、その中腹(H=725m)に【モンセラート修道院】が建っている。
 紀元1025年創設というが、それ以前に聖母マリアを祀る礼拝堂があったともいわれる。ナポレオン戦争・スペイン市民戦争などで何度も破壊され、現在の建物は1996年に大改修されたもの。

モンセラート山塊
モンセラートの山塊
モンセラート修道院
間近に迫る山塊と修道院

※モンセラートの黒いマリア
 スペイン旅行での楽しみのひとつが、モンセラートの黒いマリアを実見することであった。
 黒いマリアは聖堂主祭壇に祀られる“磔刑のキリスト像”の真上に、聖堂の主祭神であるかのように安置されている。
 祭壇脇の狭い通路を通り急な階段を上って祭壇の上に出ると、目の前に天蓋と長円形の透明ケースに覆われた聖母子像(木造、H=97p)が、天球を乗せた黒い右手だけをケースから外に出して座っている。
 間近にみる聖母マリアと幼子イエスの顔は黒というより濃い褐色に見えるが、それが自然の色なのか意識的に塗られたものかは見分けできない。

 案内書には
 「聖母マリア像は、その手と顔が黒ずんでいるため、世界の黒いマリアのひとつに数えられているが、この黒色は木肌の色でも彩色されたものでもない。徐々に黒くなった証拠もある」
とあるが、その証拠については記していない。

 幼子イエスを膝に抱いて正面を向いた聖母子像はキリスト教世界でよく見られるものだが、鼻筋の通った面長の顔をしたこの聖母子像は、顔が黒いこともあってか、通常の聖母子像からイメージする“母なるマリア”にはない何か、強いていえば異教的な雰囲気をただよわせている。

モンセラート修道院
祭壇上の黒いマリア
黒いマリア像
黒いマリア像
(資料転写)

 この黒いマリアが何時頃のものかは不明。
 伝承では、
 「西暦880年のある土曜日、何人かの子供の羊飼いが、薄曇りのなか空から不思議な光が美しいメロディーとともに降りてきて山の山腹に留まるのをみた。同じことが数週間続いたため、麓の町の司祭が調べたら、洞窟のなかから黒いマリア像が発見された。麓まで降ろそうとしたが動かないので、その地に聖堂を建てて安置した」
という。
 この伝承を記した古文書には1239年の日付があり、また1223年に“モンセラートの聖母マリア信徒団”があったという記録もあり、遅くとも12世紀末には当地にあったと思われる。

 この黒いマリア像は、地元では“ラ・モレネータ”(黒い女の子)の愛称で親しまれ、またカタルーニャの守護聖母として広く信仰され、バルセロナ大聖堂内の小礼拝堂にもコピーが祀られている。
 大聖堂を訪ねたときも、祭壇のキリスト像よりも沢山の蝋燭と生花が捧げられていた。それだけ親しまれているということである。

※黒いマリアとは
 『黒いマリア』と呼ばれる一群の聖母子像がある。
 正面を向いた聖母マリアと、その膝に抱かれた幼子イエスの顔と手足が“黒く塗られた”像で、フランスなどヨーロッパ中西部・特に古くケルト人たちが活躍した地域を中心に400体ほど存在するという(トルコ・エフェソスの“聖母マリアの家”にもあった)

 これらの黒いマリアが人為的に黒く彩色されたのか、燈明のススや自然の汚れなどで黒ずんだのかはわからない。
 肝心のカトリック教会は何もいっていない。というより、普通のマリア像が何らかの理由で黒ずんだという立場をとっており、“黒い”ということに特段の意味を認めていない。無視しているといっていい。

 これに対して“黒い”ということに積極的な意味を認めようとする立場がある。
 それは、キリスト教以前の異教時代の地母神信仰が聖母マリアと一体化したという見方である。
 古くから人々は、大地のなかから生き物・特に穀物が絶えることなく生まれ、且つ消えていくことをみて、この命あるものを生み出し且つ飲み込んでいく大地の力と、女性のもつ子供を産み育てる神秘的な力とを同じものとして崇めてきた。その具象化が“地母神”と総称される女神たちである。
 それは、生と死という人生最大の境界を乗り越えようとするとき、無意識のうちに“母なるもの”を求める人間の本能に連なるものといえる。

 これまで知られている代表的な地母神としては、ギリシャのアルテミス・ローマのキュベレ・エジプトのイシスなどが挙げられるが(わが国、縄文時代の土偶もそのひとつ)、その名前や姿形は違っても、人間の根底に潜む母なるものへの憧憬を根底とする信仰である。
 これら母なるものへの信仰を根底とする地母神信仰はキリスト教時代になって邪教として抑圧されるが、その根底にある母なるものへの希求心が聖母マリア信仰へと流れ込み、黒いマリアとして再生したということもできる。

 確かに、精霊によって身ごもった聖母マリアには清純無垢な白色が似つかわしいが、白の対極にある黒色も、“夾雑物が加わっていない始原の色”・“万物の根源の色”・“全てを生み出す大地の色”・“命がそこから出て、帰っていく色”とされ、“母なる色”ということもできる。黒いマリアが古代の地母神信仰を引き継ぐものである限り、黒いということに違和感はない。

 黒いマリアが坐すモンセラートはフランスとの国境・ピレネー山脈のすぐ南に位置し、BC1000年紀のはじめにケルト人が侵入定着し、ローマ時代以降もピレネーの北・ガリア(ケルトの根拠地)と地との交流が深かった土地である。そこにケルト的な地母神信仰があったことは想像できる。また黒いマリアが山中の洞窟から発見され動こうとしなかったという伝承も、森の中の古木・奇怪な巨岩・深い洞窟などを聖地として崇拝していたケルトとの関わりを示唆するともいえる。
 モンセラート修道院の前身は、古いケルトの聖地だったのかもしれない。

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