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御誕生寺
福井県越前市庄田町32
本尊--釈迦如来
                                                         2020.12.15参詣

 北陸本線・武生駅の東南東約2.5kmにある曹洞宗寺院。
 ツアーの途中での参詣のため駅からの経路は不明。

※縁起
 境内本堂前の案内には、
 「御誕生寺のいわれ
 曹洞宗には大本山永平寺と大本山総持寺の二大本山がある。
 永平寺の御開山・道元禅師の生誕地は京都の深草である。
 総持寺の御開山・瑩山禅師の生誕地については、従来二つの云い伝えがあった。
 一つは丸山町であり、一つは越前市帆山町である。
 昭和44年1月、大本山総持寺は御生誕七百年を記念し、帆山町に瑩山禅師御誕生地顕彰碑を建てた。

 瑩山禅師の母親である懐観大姉は子宝に恵まれず、帆山の中腹にある観音堂に日参し、授かったのが瑩山禅師である。
 母の願い通りに成長した瑩山禅師は現在の曹洞宗の基礎を築かれ、幾多のすぐれた祖師方を排出された。
 宗門の開祖は道元禅師であるが、教団としての曹洞宗を盤石ならしめたのは、瑩山禅師の仏徳に他ならない。

 昭和23年に帆山の地に上田全之師が御誕生寺を建てられた。
 現在は建物も境内のなくなっているが、御誕生寺の寺籍だけは登録されたままとなっている。

 平成11年1月、興宗和尚が大本山総持寺の貫首に就任したころより、宇野煕氏から御誕生寺の建設をすすめられ、現在の土地を寄進され、境内の整備工事や假本堂、庫裏の建設が始まった。
 ところが平成14年5月、宇野氏が急逝され、建設の将来も危ぶまれたが、全国各地の御寺院方や篤信者から絶大な御支援をてただき、建設は順調にすすんだ。
 さらに専門道場として公認され、平成21年6月7日に落慶法要が盛大に行われた。
 瑩山禅師を御開山に勧請申し上げ、二世を上田全之師とし、開基に宇野煕氏をお迎えした。興宗和尚は大本山総持寺から中興の称号をいただき三世となった。
 ここに御誕生寺は名実ともに修行道場としての新たなる一歩を踏み出すに至った。 平成21年仲秋」
とある。


 当寺を誕生寺とする瑩山禅師(ケイザンゼンジ、1264--1325)とは、鎌倉末期の曹洞宗僧侶で永平寺法灯4世にして、元享元年(1321)能登・総持寺を開山(その後、明治40年横浜市鶴見区に移転)
 瑩山禅師に関する資料は少ないが、曹洞宗大本山総持寺のHPには
 「瑩山紹瑾禅師は、文永元年(1264)10月8日(旧暦)、越前国多禰邑(タネムラ)の豪族・瓜生(ウリュウ)邸に誕生、熱心な観音信者の母に育てられた禅師は、3歳にして『ナムナム・・・』と唱えて拝み、5歳頃には土をこねて仏像をつくったり、経を読み、近隣から観音大士の応現と称されました。
 禅師8歳の春、母に連れられて永平寺に登り、3世徹通義介(ギカイ)禅師のもとで沙弥(ひな僧)となり、13歳になると2世弧雲懐弉(エジョウ)禅師に随いて得度式(正式出家)を挙げ、幼名行生を紹瑾に改めて僧列に加えられました。

 以来、本師徹通禅師に従って宗義を学び、仏教祖禄の研鑽を積み、諸国行脚の旅に出られ、臨済・曹洞の宗要をたずね、比叡山では天台教学を修し、永平寺に戻られたのは21歳の秋でした。
 その後、師の徹通禅師に随って金沢の大乗寺に移り、寺門興隆と民衆布教に専念されました。
 そして28歳で徳島の城滿寺を開き道元禅師のみ教えを広め、4年後大乗寺に帰り禅修行道場の体制を固め、その後数ヶ寺を創立するとともに、たくさんの弟子を導かれ教線の拡張をはかり、石川県能登の門前町に総持寺を開かれたのは禅師58歳の時でありました。
 曹洞宗の太祖大師と仰がれる瑩山禅師は、正法を広め宗旨を布演することに全生涯を投じ、偉大なる足跡を残して正中2年(1325)9月29日、62歳で亡くなられたのであります」
とある。

 上記縁起がいうように、曹洞宗には大本山として永平寺(福井県永平寺町)と総持寺(神奈川県横浜市鶴見)の2寺がある。
 曹洞宗の開祖・道元禅師の教えは座禅による修行者個々人の大悟を目的とするもので(只管打座・シカンダザ)、宗派としての強勢拡大などははかろうとしなかったといわれるが(保守派)、後になると、一般民衆の中に入って強勢を拡大すべきとする僧等が増え(改革派)、改革派が創建したのが総持寺で、それを主導したのが義介禅師に従う瑩山禅師だったともいう。

◎猫寺
 当寺は別通称・「猫寺」と呼ばれている。
 資料によれば
 ・約18年前、堂舎建設時に捨てられていた子猫4匹を保護したことにはじまり
 ・その後、当寺に猫を捨てに来る人もあって次第に増え、子猫が生まれたこととあいまって一時は百匹を越えたこともあったという。
 ・寺では避妊手術をすることで増えるのを防ぎ、且つ愛猫者への里猫PRを積極的に努め、これまでに400匹以上が引き取られたが、今でも10数匹が保護されているという(寒い冬のことで境内には見えなかった)


※境内
 広い境内に入ると、正面壇上に法界定印(ホッカイジョウイン)を結んだ釈迦如来座像(寺では単に大仏と称している)が西を向いて鎮座する
 大仏は高さ約6m・重さ約144㌧(14㌧とする資料もある)の巨大な石像(寄石造り)で北陸最大級といわれ、令和元年(2019)中国からの招来という。

 大仏の右膝に丸くなって眠っている猫が、左には腕にじゃれついている猫が彫り込まれている。
 当寺が俗称『猫寺』と呼ばれることに由来するもののようで、前者は釈迦の教えを聞いて安心して眠っている様を、後者は嬉しくて飛び跳ねている様を表現しているという。


御誕生寺・境内 
 
大 仏

大 仏 

 大仏の前に摩尼車(マニクルマ)が立っている。
 摩尼車とは円筒形の仏具で、中にマントラや経文の一節などが納められ、これを回すことがマントラ等を称えたことになり、回すことから転経器ともいい、チベット仏教系の寺院で数多く見られる。

 通常は縦軸を中心として横に回すようになっているが、当寺の摩尼車は縦に回す構造で、表面に般若心経が刻まれており、これを回すことで心経を読経したことによる功徳が得られるという。

 摩尼車前面には、丸い円(十牛図の一つで、仏教でいう真理・空を表現したもので、空一円相という)の下に「無為自然」(ムイジネン)と刻してある。
 通常、無為とは何もしないことを意味するが、ここでの無為は雑事・雑念を離れて仏道一筋に打ち込むことを意味し、無為自然とは、それによって悟りへの道が自ずから開けてくることを表すという。。

 
摩尼車

同・拡大 
 
チベット系摩尼車

 大仏の背後に宝形造の本堂が建ち(平成21年-2009造営)、広い内陣の正面中央に釈迦如来座像が、左右に僧形の座像が座する、祖師像か。


大仏と本堂 

本 堂 

同・内陣 

 本堂の左に庭があり、その前に僧形座像が鎮座し、傍らの標柱には「瑩山禅師 転法輪の庭」とある(転法輪とは法を説くことをいう)
 庭の奥にある数棟の建物の入口には「御誕生寺専門僧堂」とあり、右の建物は座禅堂という。

 
転法輪の庭
 
同左(右の建物が座禅堂か)

 本堂の右に「慈仏堂」と「鐘楼」が並び建ち、慈仏堂内陣には十一面観音菩薩立像他の仏像が安置されている。
 また、鐘楼前には観音菩薩立像3体(薬王菩薩・慈愛菩薩・大和菩薩)と小さな地蔵像数躰が並び、「しあわせの鐘」との標柱が立つ。


左:鐘楼・右:慈仏堂 

慈仏堂内陣 
 
鐘 楼

 境内右手(南側)に、立像・座像取り混ぜた小さな地蔵菩薩像数十躰(百躰を越えるか)が2段に並んでいる。
 各地・各寺から奉納された地蔵像のようで、いろんな表情・姿態をしており、ゆっくり見てまわると面白い。

     

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