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トルコ/コンヤ
メヴラーナ博物館・セリミエジャミイ 

 アナトリア中部の南寄りに“コンヤ”という小都市がある。
 かつてルーム・セルジューク朝の首都が置かれていた都市で、そこにイスラム神秘主義の一派メヴラーナ教団の本部が置かれている。

※メヴラーナ博物館(メヴラーナ教団)
 どの宗教でも、神の実在を独自の方法によってとらえることができると考える人たちがいる。
 一般には神秘主義とよばれるが、イスラムでは“フィズム”とよばれる。この呼称は、はじめの頃、彼らが羊毛の衣(スーフ)を身にまとっていたことに由来するという。

 イスラムでは、神が唯一の主人であって人は僕(シモベ)でしかなく、神は一方的に預言者を通じて語りかけてくるもので、人は、預言者を通じて示される神の意志・コーランの教え(啓示)にしたがって正しい人生を送るべきであって、僕である人の方から神に接近したり、神との一体化を図ろうとするのは邪教として排斥されている。

 そんなイスラム正統派に対して、人は修行によって神と一体化することができるとする人々がいた。それは、自己の内にある“吾が、吾が”とする自我意識、それを払拭することによって、自己の内にある自分ならぬものを見出そうとする努力を積み重ね、その極限のなかで自分の内に神を見いだし、神に逢おうとする観念という。

 ここでいう神とは、イスラムが説く絶対的超越者、近づくがたい高みにあって上から人を支配する神というより、魂の奥底に潜んでいる内在神とでもいえるもので、それは、神が二つあることにも通じ、絶対唯一神のみを認め、他に神を認めないイスラム正統派からみれば異端的な考えで、時には弾圧されることも多かったという。

 そのイスラム神秘主義の一派としてジャラル・アッディーン・ルーミー(1207--73)が創設したのが【メヴラーナ教団】。
 ルーミーは生まれながらの神学者・詩人といわれ、生きとし生けるものすべてへの合いを歌い、すべてのなかに神の存在を認めていたといわれる。
 彼は、死者の衣を象徴する白衣をまとい、墓石をイメージさせる高い帽子をかぶり、クルクルと旋回しながら舞い踊ることでもたらされる無我の境地(トランス状態)のなかで、神との一体化を図ったという。

 そのルーミーの教えは、セルジューク朝からオスマン帝国期にかけてトルコ全土にひろがっていたが、共和制移行後、政教分離を掲げるアタチュクルの命によって各地の修行センターは閉鎖され、教団も解散させられたという。


博物館・外観(資料転写) 

同・正面入口付近
左下に手足の洗い場があり、
人々は此処で手足を洗う
異教徒の我々も靴を脱ぐ義務がある
 
 
ルーミー肖像画

 この博物館は、教祖ルーミーの霊廟(13世記末)を中心とした修行センターだったものを、1927年博物館として解放されたもの。
 館内は、様式化された草木模様と装飾アラビア文字で目映いばかりに飾られた内陣の最奥に、金の刺繍で飾られたカバーを掛け、ターバン状の墓石を立てた教祖ルーミーとその父ワラドの寝棺が並び、その周りに、これまた寝棺の頭部にターバンあるいは帽子を象った墓石が立つ教団の歴代指導者の寝棺がずらりと並んでおり、一見、異様な感じが漂っている。

 
館内装飾
 
教祖ルーミーと、その父ワラドの寝棺

その他指導者の寝棺 

 館内には、当教団の特徴である輪舞する修行者の彫像が展示されている。
 彼らが着ている白い衣は死に装束を高い帽子は墓石を表し、輪の中心で踊る長老は神の反映である太陽を、踊りながら周りを巡る人たちは弟子で惑星を表すという。
 踊りつづけるなかで、無我の境地に達し神に近づくことができるという。

   


※セミリエ・ジャーミィ
 “観光地でない一般のモスクを”と訪れた、メヴラーナ博物館の隣にあったモスク。
 異教徒の私たちだから、堂内に入るのは遠慮して入口から覗いただけだが、白壁と円柱の要所々々を繊細なアラビア語で飾っただけの堂内には、床一面に深紅の絨毯が敷きつめられ、ドーム状の天井からシャンデリアが下がり、正面には聖都メッカの方向を示す龕(ミフラーブ)が設けられ、その右手に階段状の説教壇が据えられただけの簡素な造りで、個人々々が神に連なっているというイスラムの精神そのものといった雰囲気を漂わせている。
 あえていえば、わが国の古い神社の雰囲気に近いか、もっと簡素化したものといえよう。
 (説教壇の最上段は神が立つ位置、そ2段目が預言者ムハンマドの位置で、一般聖職者は中段から説教するという)

 ただ、この広間は男性のみに許された祈りの場で、女性用のそれは、後方の別室に設けられ、やや華やかなものになっているという。

 
セリミエ・ジャミイ
 
堂内・正面
 
堂 内

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