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トルコ/エフェソス/聖母マリアの家と黒いマリア

  トルコ西部・地中海に面して古くからの都市エフェソスがある。
 世界七不思議の一つ、「エフェソスのアルテミス神殿」をもつ都市として知られた港町で、紀元前から西アナトリア(トルコ・アジア地区を指す古い呼称)における重要な交易都市として知られていた。

 その女神アルテミスに代表される多神教の世界にキリスト教が入ったのは、1世紀後半という。
 AD53年、使徒パウロが当地に入り、新しい宗教・キリスト教の布教に努め最初の教会を建てたというが、ここで一つの騒動が起こったと伝えられている。
 当時のエフェソスは女神アルテミスに捧げられた都市として知られ、多くの参詣者が集まり、彼らを対象とした土産物(ミニチュアのアルテミス像など)を製作販売する職人たちが多く住んでいたという。そこへ偶像を否定するキリスト教が入ってきたことから、職人の一人が仲間を集めて、
 「我々は、この仕事のおかげで生きているのだが、あのパウロは『人の手で造られたものなど神ではない』といって、多くの人々を説き伏せ、たぶらかしている。このままでは、偉大なる女神アルテミス神殿もないがしろにされ、女神の威光も失われてしまうだろう」
と説いた。これを聞いた人々は怒って、「エフェソスのアルテミスは偉大なり」と叫びながら、パウロの同行者を捕らえて野外劇場になだれ込み気勢を上げたという。
 この騒ぎは町の有力者の取りなしで治まったが、この為かパウロはエルサレムへ去ったという。
 同じころ(あるいはその後)使徒ヨハネがイエスの母マリアとともにこの地に滞在したといわれ、聖母マリアは、この地から昇天したとの伝承が残っている。

※聖母マリアの家
 エフェソスの南よりの丘の上に、「聖母マリアの家」というキリスト教の聖地・小聖堂が建っている。しかし、この地にマリアが住んでいたという証拠はない。

 下の駐車場から小聖堂に至る崖沿いの緩やかな坂道には、聖母マリアが、すべての人々を迎え入れるかのように立ち、この家の伝承を記した各国語の案内場が並んでいる。
 日本語のそれには
 「この地エフェソスは、イエス・キリストの母・聖母マリアが最後にお住まいになった場所と伝えられている。
 福音書・ヨハネ伝によれば、十字架に架けられたイエスは、傍らにいた弟子・ヨハネに母・マリアを託したため、ヨハネは母マリアとともに暮らしたという。その後、ヨハネはエフェソス方面の布教を担当したとされる(ヨハネ黙示録)から、母マリアもヨハネとともにエフェソスの移り住んだ可能性がある」(大意)
とある。

 資料によれば、一人の神秘的なドイツの尼僧・カタリナ・エメリッヒ(1774--1824)が見たという幻影によって、この聖地が発見され、小聖堂が造られたという。
 エメリッヒは28歳で修道院に入り、ほとんど食もとらずほとんどを横になったまま過ごしたが、キリストの聖痕から血を流し、空中浮揚や透視・読心といった超能力を持っていたといわれ、その中で語った、
 「(エフェソスの)マリアの家は、丘の上、ラバの通れる道の先に建っていて、エーゲ海とサモス島が見渡せる・・・」
との言が、聖地発見の発端だという。

 1891年、彼女の言をもとにエフェソス南手の山地を発掘調査したところ、彼女の言と全く同じ場所に、1世紀と4世紀の壁の跡が発見され、7世紀頃には聖堂が建て直されたことも明らかになり、そこに建てられたのが聖母マリアの家である。
 その後、1967年、ローマ教皇パウロ6世がこの家を訪れ、聖母に祈りを捧げたことによって、それまで地方の一巡礼地でしかなかったものが、ローマ法王庁公認の聖地へと格上げされている。

 聖母マリアの家は、扁平なドーム状の屋根に覆われた割石積の小さな聖堂である。
 入口のドームをくぐり玄関の間に入ると、洞窟を模したような内陣奥に設けられた壁龕の中から、王冠をかぶりマントをまとった聖母が両手を広げて迎えてくれる。
 祭壇の前には燈明が揺らぎ香華が捧げられているが、その造りといい内部装飾といい簡素なものである。
 今の建物は1951年再建されたもの。訪れたとき、聖堂から修道女が出てこられたから修道女院かもしれない。

エフェソス・聖母マリアの家
聖母マリアの家
エフェソス・聖母マリアの家・内陣
同・内陣(資料転写)
エフェソス・聖母マリア像
坂道に立つマリア像

※黒いマリア
 聖母マリアの家は、大方のガイドブックに、キリスト教の聖地であるとともに観光地の一つとして記されているが、その脇堂に祀られている「黒いマリア」について記している資料はほとんど見られない(管見のかぎりでは1冊のみ)

 黒いマリアとは、顔や手足を真っ黒に塗られたマリアが、黒い顔をしたイエスを膝に抱いている像で、その“黒い”というところに、普通のマリア像とは違った大きな特徴がみられる。灯明のススで煤けたとか、古くなって汚れたとか諸説があるが、意識的に黒く塗られたというのがほとんどで、フランスを中心にヨーロッパ中・西部に400点余りが点在するという。

 この“顔が黒い”ということについて、教会では「聖母が黒く描かれることに特別の意味があるわけではなく、類例はいたるところにみられる」として、そこに特別の意味をもたせない、あるいは無視するというのが普通のようだが、この“黒い”ということを積極的に評価しようとする立場が部外者から提起されている。
 この黒いマリア像を、キリスト教によって抑圧され消滅していった、古代の地母神信仰・母なる大地への信仰の残影とする見方である(別稿「スペイン/黒いマリア」参照)

 エフェソスの黒いマリアは、金箔で飾られたヴェールをかぶり、同じく金色のガウンをまとって、全身黄金色に輝いている。膝の上の幼児イエスもまた同じく黒い顔で金色のガウンを着ている。
 その光り輝く黄金色と漆黒の顔とのコントラストからは、普通の聖母子像にはない独特の雰囲気というか、キリスト教とは異なる異教的な匂いが感じられる。
 この像が、当聖堂でどのように祀られているのか分からないが、見たところでは、まだ新しいもののように感じられる。エフェソスは古代の女神・アルテミスの聖地であったことからみて、その流れを曳く女神像として密かに祀られているのかもしれない。

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