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トルコ/パムッカレ遺跡
石灰棚・ヒエロポリス・ネクロポリス

 アナトリア地方の西端・エーゲ海沿岸から東にだいぶ入った処に、パムッカレという遺跡があるが、そこは大きく、半円形の城壁に囲まれた地域(東西750mほど)と、その南に拡がる石灰棚地域に別れている。

 パムッカレとは、トルコ語で“綿の城(宮殿とも)”の意で、綿というのは、昔、この辺りが良質の綿花の生産地だったことによるという。

 

※石灰棚
 城壁に囲まれた地区の南(正確には南西)の緩やかな傾斜地に、水(石灰質の強い温泉水)を湛えた大小様々な棚(石灰棚)が、幾層にも重なった地区で、ユネスコの世界遺産に登録されている観光スポットの一つである(1988)

 その景観は、わが国にみえる山間の傾斜地に小さな水田が幾層にも重なりあった棚田、あるいは段々畑を大きくしたようなものともいえる。
 ただ、日本の棚田は人の手で造りあげられた努力の結晶だが、パムッカレの石灰棚は、台地上から湧出する石灰質を多く含んだ温泉水が、長い時を経て、段々畑のように幾層もの棚を造った天然の造形という違いがある。

 一枚一枚の棚を形成する石灰の白と、そこに湛えられている水の青とが織りなす姿は、折からの落日とともに限りなく幻想的な景観を見せてくれた。

 
落日の石灰棚

同  左
 
石灰棚と台地との境界付近

※ヒエラポリス
 石灰棚上の台地上・城壁内の北寄りにヒエラポリスという遺跡がある。
 ヒエラポリスは、ペルガモン王国の最盛期(BC190頃)に建設された都市の遺跡で、この時代のものとしては最も内陸部にある。
 ヒエラポリスとは“聖なる都市”・“聖都”という意味で、此処だけでなく各地に同じ名の都市が幾つもあったという。

 湧出する温泉から発生するガス(硫黄系ガスであろう)を吸ってトランス状態になった神官が、神の神託を告げる聖地であり、それはまた病を治療する保養地でもあったといわれ、そんなことからヒエラポリス・聖都の名がついたのだろうという。

 ヒエラポリスの最盛期はBC2世記からAD3世記にかけてといわれ、現在、
 ・町に入る北の門である【ドミティアン門】--ローマ皇帝ドミティアヌス(AD81--96)を讃えて造られた3連アーチの門と円筒形の塔を組みあわせた建造物
 ・町を南北に貫く【大理石の道】、それに接する【アゴラ跡】、あるいは【アポロ神殿】【円形劇場】(約15000人収容という)【大浴場跡】などのローマ時代の遺跡が点在している。

 当地にも、5世紀になるとキリスト教が入り、主司教座か置かれ大聖堂やフィリポ殉教記念堂などが巡礼対象となるなど、それなりの繁栄は維持するものの、10世記には寂れた一村落にまで衰微し、イスラム教徒の侵入によって12世記末には放棄されたという。

 
ドミティアン門

大理石の道と円柱列 

アゴラ跡 

 夕日をうけて真っ赤に映えるドミティアン門と、そのアーチの間から覗く柱列の輝きは一幅の絵を呈していた。
 ゆっくり時間をかけてまわれば面白い遺跡にもであえただろうが、日が蔭ってきて、ドミティアン門付近のみを一瞥するだけとなった。

※ネクロポリス
 ネクロポリスとは“死者の都”という意味で、ヒエロポリスからエフェソスに至る古代道路の両脇に、約2kmにわたって“古代の墓地跡”が延々と続いている。
 ヘレニズム期からビザンチン初期までの長い間使われていた墓地で、
 ・石棺一つだけを納めた“個人墓”
 ・数体の遺体が安置できるようになった礼拝堂形式の“家族墓”
 ・裾を積み石で囲んだ扁平な“円墳”
などが、緩やかにカーブを描く道路沿いのなだらかな傾斜地一帯に残っているが、、半分壊れ、半分土に埋もれたものもある。

     

 ローマ時代、死者たちは残った者と同じ処に憩うことはできず、死者たちは、残された人々を惑わしたり困惑させたりしないようにと、町の外に葬られたという。
 といっても、それらの墓地は、死者たちが、時に供物をもって訪れる縁者たちと飲食を共にできるように、町の門のすぐ外あるいは他の町へつづく街道筋に葬られたという。

 ただ、そこに葬られ顕彰されるのはすべての死者ではなく、いわゆる市民と呼ばれる有力者たちであり、街道筋の墓地は都市の名士たちの顕彰の場だったと思われる。
 彼らは、自分の名声を維持し死後も忘れられないために、都市の中に彫像・石碑・記念碑などを建てるとともに、通行する人々の目に広く触れるように街道筋に墓所を設けたという。
 これに対して無名の人々、貧しい人々あるいは奴隷たちは、町の外に葬儀もなく無造作に葬られ、後になると、街道筋に設けられた名士たちの墓所の背後に無秩序に放棄されたともいう。

 パムッカレからエフェソスに至る街道筋のみられるネクロポリスは、このような風習のなかで葬られた死者たちの都だが、これら死者たちの終の棲家は、陽光燦々たる蒼天の下で見るかぎり、墓地からうける陰惨な感じより、カラッとした透明感を感じさせるものだった。

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