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宇佐の原信仰/阿良礼宮・鉾立宮
                                                                 2008.10.11参詣

 村里に近い山をカミが降臨する聖地とする信仰・神奈備信仰では、その麓にカミ祀りの場があることが多い。いわゆる里宮である。
 御許山にあっても、その麓に残る『阿良礼宮』(アラレ)『鉾立宮』(ホコタテ)『椎宮』(シイ)といった古い聖地がそうである。あるいは、宇佐神宮の菱形池の脇にある『御霊水』もそうかもしれない。
 これらの宮は今、宇佐神宮の境外末社とされているが、その原姿は、御許山の磐座と同じくカミが降臨する依代を祀った聖地であり、御許山を神奈備として礼拝する聖地であろう。
 これらの宮は、いずれも御許山系から北に延びる尾根筋のひとつ大尾山の山麓に位置する。ただ、末社とはいっても社殿は勿論案内標識などもなく、地元の人でも高齢の方を除いて知っている人は少なくなっているらしい。

※阿良礼宮
 神宮西側、大尾山山麓の道路を南下して、分岐する細い道を入った先に位置するが、その入口はわかりにくい。細い道を辿った先、木柵で囲まれた疎林の中に『阿良礼宮』と彫られた1mほどの石柱が立っている。道の反対側は田圃となっている。
 宇佐神宮の末社との位置づけで、神宮写真集には
 「八幡大神の奇瑞を現された阿良礼神社」
とある。八幡神の奇瑞とは、神が三歳の童子と化して竹の葉の上に顕れ、『辛国城(カラクニノキ)にはじめて八流の幡を天降し、吾は日本の神となれり』と託宣したとの伝承を指すのであろう。

 阿良礼とは、カミの御子の誕生を意味する“御阿礼”(ミアレ)が訛ったものと解されるが、場所を教えてくれた方も「神さまが降りてこられた場所と聞いている」と話されていた。カミの降臨はカミの誕生である。
 今は疎林に中にポツンと立つ石碑以外に何もないし、由来を語るものも見当たらない。太古の昔、聖域の脇を流れる川の辺で、聖なる神妻・巫女がカミの降臨を待ってその御子を生んだのであろうし、豊穣を願うカミ祀りがおこなわれた聖地であろう。

阿良礼宮・石碑
阿良礼宮・石碑
阿良礼宮跡・全景
阿良礼宮跡・全景
(中央奥に石碑が立つ)

※鉾立宮
 大尾山山腹に鎮座する大尾神社への参道(石段)前から少し南、細い山道の奥に位置する。道沿いには入口を示す標識もなく、地元の中学生がお婆さんから聞いて案内してくれた。
 道路から少し入った先に、自然石に『鉾立宮』と刻した石碑が立ち、その左手の石段を登った先、玉垣に囲まれた中に“榊の木”が一本立っている。所謂、カミが降臨する依代としてのご神木だが、何代目だろうか。
 神宮写真集には、
 「大神比義が鉾を立てて八幡大神を祀った社」
とあるが、鉾とはカミが降臨する柱であろう。大神比義云々とは後世の付会で、本来は八幡神出現前から祀られていたカミ降臨の場であろう。

鉾立宮・石碑
鉾立宮・石碑
鉾立宮・参道入り口
鉾立宮・参道入口
鉾立宮跡
鉾立宮跡

※椎宮
 宇佐神宮からみて大尾山の反対側(宇佐市南宇佐字椎宮)にあるというが、地理不案内で訪れていない。
 神宮写真集によれば、
 「神武東征の折、海路を案内した椎根津彦命(シイネツヒコ)を祀る。この場所がシイネツヒコの上陸地点と伝える」
とある。シイネツヒコとは、書紀・神武東征の段にいう、神武を案内したという土着の神・珍彦(ウズヒコ)だろうが、ウズヒコが現れた速吸之門(ハヤスイのト)は今の豊予海峡に比定されているから、こういう伝承があってもおかしくはないが、やや不自然。
 資料によれば、注連縄を張った椎の木があるのみというが、現状不明。

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