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放生会/百体神社・凶首塚・化粧井戸
                                                                 2008.10.11参詣

 宇佐神宮の西約500mほど、国道10号線北側の旧道沿いに、放生会に関係する百体神社・凶首塚・化粧井戸との史蹟が並んでいる。旧道を東へ進むと宇佐神宮・西門に至る。

【百体神社】
 宇佐市南宇佐上町
 祭神−−隼人の霊

 国道10号線沿いの旧道のちょっとした民家が並ぶ北側に鎮座する。低い石垣と白壁に囲まれた境内には、古ぼけた拝殿と本殿覆屋が縦に並び、覆屋内には色あせた朱塗りの本殿が収まっている。
 今、当社は宇佐神宮の末社との位置づけで、神宮写真集には、
 「大隅日向の隼人の霊を祀る。養老4年(720)に八幡大神は隼人征伐に行幸になり、養老7年(723)にご帰還のとき、百体の隼人の首を持ち帰り、松隈の地に埋められたもので、これを“凶首塚”という。その後、隼人の霊を慰め悪を更正させるため放生会をおこない、この神社を創始した。百人の霊であるから“百体神社”という」
とある。

 今では、百体神社・凶首塚での放生会行事はなくなっているが、10月の秋祭りには神楽が奉納されるなど、昔の面影も残っているらしい。

百体神社・大鳥居
百体神社・大鳥居
百体神社・拝殿
同・拝殿(舞殿)
百体神社・本殿覆屋
同・本殿覆屋
百体神社・本殿
同・本殿(部分)

 
【凶首塚】(キョウシュヅカ)

 百体神社を西に行った北側の小高くなった田圃の脇にあり、
旧道脇に「県指定史蹟 凶首塚古墳入口」との標識が立っている。

 伝承では、隼人反乱鎮圧後、持ち帰った隼人の首・百体を埋めた
ものというが、塚そのものは6世紀頃の横穴式古墳の石室が露出し
たもので、8世紀の隼人反乱とは関係ない。

 石室入口に小さな朱の鳥居が立つ。古く、稲荷信仰にともなう使獣
・狐を祀る“狐塚”とされていたのかもしれない。
凶首塚


【化粧井戸】
 凶首塚から西へ行った旧道南側に並ぶ3基の古井戸。脇の案内には、
「この井戸は、聖武天皇の神亀元年(724)『隼人の慰霊のため、放生会を奉仕する』との神託により始められた放生会の儀式に奉仕する、福岡県吉富町鎮座の古表神社および中津市藤田鎮座の古要神社のご神体である“傀儡人形”が化粧するための井戸である。因みに、この両神社の傀儡は隼人征伐に参加し、隼人らはこの傀儡に見とれている間に伐たれたと伝えられている」
とある(別稿・古要神社参照)

化粧井戸・全景
化粧井戸・全景
化粧井戸・中央部
化粧井戸・中央部

 一面の田圃の一角に苔生した古井戸が3基並ぶ。中央井戸の背後には注連縄が張った小祠があり、左脇には樹木が立っている。ただし水はない。なにやら曰くありげな古井戸で、昔の祭祀跡かとも思えるが、そういった伝承は見当たらない。ただ、傀儡人形の化粧とはどんなものか興味はある。

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