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宇佐の原信仰/一柱騰宮
                      (あしひとつのあがりみや)

 日本書紀・神武即位前記に、
(神武は)筑紫国の宇佐に着いた。すると宇佐国造の先祖である宇佐津彦(ウサツヒコ)・宇佐津姫が、宇佐の川の辺に一柱騰宮(アシヒトツノアガリミヤ)を造っておもてなしをした。このとき(神武は)ウサツヒメを天種子命(アマノタネコ)に娶された。アマノタネコ命は中臣氏の先祖である」
との伝承がある。
 一柱騰宮とは、川の中に片側の柱を立て、もう一方を川岸にかけて建てられた宮というがはっきりしない。川面に突き出して造られた仮屋で神武を饗応したということだろう。その跡という伝承地が3ヶ所残っているが、いずれも伝承の域を超えず、この場所だとする確証はない。

伝承地・1−−宇佐神宮境内・騰隈(トウノクマ)
 宇佐神宮・西参道から呉橋を渡って境内に入り、すぐの小路を南下、寄藻川沿いに進むと、左手に雑木が茂った場所がある。その奥は蒲鉾型に高まり、西に寄藻川が流れ、東は旧弥勒寺跡に連なる。ここが一柱騰宮伝承地の一つという。
 宇佐神宮由緒記には、
 「騰隈と称する聖跡で、神武天皇の駐簾された一柱騰宮である」
と簡単に記している。以前は「一柱騰宮跡」との標識が立っていたそうだが、今は何もなく、社務所で聞いてやっとわかったくらいで、神宮としては余り力を入れていないらしい。神武東征といっても、今では知っている人もないのだから、やむを得まい。

宇佐神宮/一柱騰宮・伝承地1
一柱騰宮・伝承地(北側より)
宇佐神宮/一柱騰宮・伝承地2
同・南側より

伝承地・2−−妻垣神社(ツマガキ)
 宇佐市内から駅館川に沿った国道387号線を南下すると、谷間に安心院(アジム)という小盆地が開けている。盆地の南よりの山裾に妻垣神社という古社(宇佐神宮・八摂社の一)があり、ここにも一柱騰宮跡との伝承が残っている。
 社頭に掲げる由緒記には、
 「神武天皇御東征の砌、宇佐国造の祖・ウサツヒコがこの地に宮殿を建て奉饗せる旧蹟で、その時、天皇はアマノタネコ命を以て神武天皇の母后・玉依媛命を祀らせ給う」
とある。
 前半のウサツヒコが宮殿を建てて神武を饗応したというのは、書紀にいう伝承を簡略化したもので、ここで建てた宮殿が一柱騰宮である。ただ、一柱騰宮を川の中に一方の柱を建てた仮殿と解すれば、当社の近くに川らしきものは見えない。すこし離れた駅館川を当てるのだろうが、宇佐の川といえば寄藻川より駅館川が相応しいかもしれない。
 ただ、神武がアマノタネコに命じて、自分の母を祀らせたというのは、他に見えない。
 ネット資料によれば、当地の字名・妻垣(ツマガキ・ツマガケ)は、アマノタネコがウサツヒメを娶ったことに由来するという。妻垣神社の創建由緒などは別稿・妻垣神社参照のこと。

伝承地・3−−宇佐市拝田
 アジムから下流の駅館川東岸にある拝田地区の山上にある池の畔に古い神社があり、これを一柱騰宮とする説だが、詳細不明。地理不案内のため訪れていない。

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