トップページへ戻る

放生会/古要神社
中津市伊藤田
祭神−−息長足姫命・虚空津比売命
                                                                 2008.10.12参詣

 中津市のほぼ中央、中津バイパスと犬丸川に挟まれた中ほどに位置するが、やや見つけにくい。

 祭神・息長足姫(オキナガタラシヒメ)とは神功皇后のことで、虚空津比売(ソラツヒメ)はその妹という。ただ、当社に関する資料不足で創建時期・由緒など不明のため、この2柱が当初からの祭神かどうかは不明。境内隅に、山の神社・龍神社・貴布禰社なる小祠が祀られている。いずれも水神であり、稲作に欠かせない水を掌ることからみて、当社の原姿は山の神・水の神を祀る社だったのかもしれない。

 社頭に掲げる案内・「古要神社の傀儡子(クグツ)」には、
(傀儡子の)起源は古く、養老4年の大隅日向の隼人の乱鎮圧に、宇佐の八幡神は、薦神社三角池の真薦で作った枕をご神体として神軍を率い、戦場で傀儡子を舞わせ、見物している隼人らを攻めて勝利を得た、と伝えられている。
 宇佐神社の放生会は、この戦いで死んだ隼人らの霊を慰めるため始められたもので、昔は古要神社の傀儡子も奉納されていた」
とあり、託宣集には、
(放生会では)傀儡子船二船:一艘は上毛郡小今井、一艘は下毛郡今津役、浮殿御前に漕ぎ参り舞楽を奏す」
とある。古今井とは古表神社で今津役とは古要神社を指し、古要神社からの傀儡子舞奉納は江戸中期に中止され、古表神社のそれは、昭和初期頃まで続いたという。

 訪れた日は祭の日で、境内では祭の準備が進められ、夕刻から傀儡子人形による神相撲がおこなわれるそうで、テレビ放映の準備が進められていた。神相撲の奉納は4年に一度・閏年におこなわれるらしい。
 拝殿前には、その左右に赤と白の古面をつけた鉾が立っている。古面の由来は不明だが、鉾に付けられているから、隼人征伐で討ちとった隼人の首を表すのかもしれない。神社では獅子面と言っているらしい。
 なお当社には、傀儡子人形60躰−−相撲人形30躰、お舞人形26躰、小豆人形2躰、獅子面2面が保存されているという。
古要神社・本殿
古要神社・本殿
古要神社・古面
拝殿前の古面

※傀儡(クグツ)
 所謂“人形遣い”の古称で傀儡子と書いてカイライシとも読む。古く、曲芸や人形操りなどを生業として各地を漂白していた人々を指すが、そこで操られる人形を指す場合もある。
 奈良時代からあったといわれるが、平安時代の枕草子・傀儡子記などによれば、男は弓矢による狩猟を業とし、曲芸・幻術・人形操りなどに長け、女は唱歌淫楽の遊女を行とす、とある。
 平安末期になると、人形を手に持って操る人形遣い、またはその人形を指すようになり、中世末から近世にかけて、たとえば摂津西宮の戎社を根拠とする集団が、“えびすかき”と称して各地を廻り、人形を操ってエビス神の縁起を語り信仰を広める(ここから人形浄瑠璃が生まれたという)など、社寺に属して、その縁起・功徳などを語ってまわる芸能集団と、首に掛けた箱の上で人形を操って門付けしてまわる大道芸人へと分化していったという。

 古表・古要神社の傀儡は神社に属する神人芸能の流れで、祭礼時などで傀儡人形を操りながら隼人征伐の場面などを生々しく語ったのであろう。又、これら隼人征伐に係わる伝承の他に、神功皇后の朝遠征の戦勝を祝った神々の舞や相撲が起源とする伝承もあるという。
 当社の神相撲を見たかったが、夕刻からとのことで割愛した。

古要神社・傀儡人形
(社頭案内から転写)

トップページへ戻る