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宇佐の原信仰/三女神社
宇佐市安心院町大字下毛字三柱
祭神−−田心姫命・湍津姫命・市来島姫命・他10柱
                                                                 2008.10.12参詣

 宇佐市内から国道387号線を南下し、駅館川に合流する恵良川に沿って広がる院内谷の奥、安心院盆地に入って、387号線から別れた山沿いの道の左手山腹に鎮座する。安心院盆地の北寄りに当たる。道の脇に鳥居と案内板が立ち、石段の多い参道を登りつめた上、石垣を積んだ平地に社殿がある。なお、“三女”は“サンミョウ”と読む。

 参道入口に掲げる案内には、
 「書紀にいう、“日神が生みませる三女神が天降りした宇佐嶋”とは、この地・宇佐郡安心院邑の当三柱山とされる。安心院盆地を一望する聖地で、ウサツヒコ・ウサツヒメは三女神を祖神とするが故に、三女神のお名前をもつ全国唯一の社で、水沼の君等が祀る。爾来、一貫してこの地に鎮座して今日に至る、と伝えられている」
とある。

 その三女神降臨の依代とされるのが、社殿右手の玉垣で囲まれた中に立つ3基の『石柱』で、説明では、
 「三女神天降りの遺跡と伝えられ、地上に突出すること2m余り。古来、試みに掘りて石根を見んと欲すれば、宇宙闇然(アンゼン)風雨至り、大地震動して、その声雷の如し。後の人、恐れて触る者なし、と言い伝えられている」
とある。

三女神社・石柱1 三女神社・石柱2 三女神社・石柱3
三女神降臨の依代といわれる石柱(少しずつ離れて3基が立つ)

 この3基の石柱は、一見して“陽石”(男根)である。簡単な柵の中に各々数メートルほど離れて立つが、廻りの状況からみて人為的に立てられたものかもしれない。

 石棒信仰・陰陽石信仰は縄文時代から続く古代信仰のひとつで、当地の人々も、人々は、この陽石に子孫繁栄・五穀豊穣を祈ったものに、いつの頃からか、三女神降臨伝承が仮託されたのであろう。憶測すれば、一時期、当地に逼塞した宇佐氏が、自家の祖神とされる三女神降臨の依代をこの石柱に当てはめ、三女神として祀ったのかもしれない。
 なお、中央写真に見える四角の石は“皮籠石”(カワゴイシ)と呼ばれるもので、説明によれば、
 「奈良時代に仁(人)聞菩薩が三女神社を参詣し、ここに皮籠を下ろし、前の岩に仏像を刻んだとも、神武東征の折、神武がこの石に皮籠を置いたとも伝える」
とあり、当社西約100mにあった“皮籠大明神”なる末社にあったものを、明治初年に移設したものという。

◎社殿
 当社社殿の造営について、当社由緒によれば、
 「江戸時代に至り、島原藩主累代これを崇敬し、社領十石を奉納し、或いは宮殿を造営し、或いは矢筈提灯ならびに釣灯籠などを奉納した」
とあるが、それ以前については不明。

三女神社・社頭
三女神社・社頭
三女神社・拝殿
同・拝殿
三女神社・本殿
同・本殿

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