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宇佐神宮・摂社/妻垣神社
宇佐市安心院町大字妻垣
祭神−−玉依媛命・応神天皇(八幡大神)・神功皇后
                                                                 2008.10.12参詣

 妻垣神社は、宇佐平野を北流する駅館川の上流域に開ける安心院(アジム)盆地に位置する。安心院の地は宇佐氏発祥の地で、6世紀中頃から8世紀初めまで、宇佐平野から姿を消した宇佐氏(528年の磐井の乱に荷担して敗れたためという)は此の地に逼塞したともいう。
 この安心院盆地に二つの古社・三女神社と妻垣神社があり、“三女神降臨伝承”(別稿・三女神社参照)や“一柱騰宮伝承”(アシヒトツアガリノミヤ、別稿・一柱騰宮参照)が残っている。両社共、当地一帯を根拠地としていた宇佐氏が奉斎した古社という。

 当社社頭に掲げる由緒記によれば、
 「妻垣山は太古、玉依媛命(タマヨリヒメ)の御降臨された霊地にして、宇佐神宮第二殿といわれる。八幡大神は称徳天皇・天平神護元年(765)、この地に行幸、駐簾の地に。同年10月8日、勅使・石川豊成に『神殿を創建して奉祀せよ』との神託あり。神功皇后は淳和天皇・天長年間(924--34)に御勧請し奉祀」
とある。
 八幡宇佐宮御託宣集(1313)・小倉山社部の天平神護元年(765)閏10月8日条に、八幡大神は
 「昔、伊予国宇和郡と豊後国国崎郡安岐郷奈多の浜を往来していたとき、奈多の浜の松の木の上から住むべき場所を見回した。そこから高知保、豊後・日向・肥後の境の広野を経て、豊前と豊後の境の田布江(現田笛)に着き、鷹居・郡瀬・大禰河(現大根川)・酒井泉(現泉)・乙燈l・馬城嶺・安心院(現妻垣)・小山田を経て、菱形池の畔(大尾山)に帰った。
 これらの場所は神である吾が選んだ勝地である。宇佐郡内に近い勝地は四年に一度巡回して見て回りたい。この地より遠いところは、煩いがあるので行かない。国司は吾が勝地に住む神人たちには公役を科してはならない」
と託宣したという。
 また、同じ託宣集(御遊化部)には、
 「安心院院都麻垣は比淘蜷_の御在所也。御修行の時、ここで語り合い給い、安心御心(心が安まった)になられた故に、安心院と云う也」
とある。当社祭神は、古く一般的神名・比淘蜷_とされていたのが、何時の時代化にかタマヨリヒメに変わったのであろう。

 託宣集にいう伝承は、宇佐氏・辛嶋氏・大神氏にからむ諸伝承をとりまとめたもので、応神八幡信仰が3氏族の提携の上で成り立つことを示すものという(別項・「八摂社」参照)
 また“吾が勝地を四年に一度見て回りたい”という託宣は、宇佐神宮2大行事の一つ・行幸会を意味し、田夫江以下の諸地は行幸会における巡幸地に該当する。
 行幸会は、天正勝宝元年(749、他に天平神護元年-765-開始説など4説あり)に始まったというが、大隅日向の隼人反乱(720)に際して造られたという伝承をもつ八幡神の御験(ミシルシ、神霊の依代)である薦枕(コモマクラ)を新たに作って宇佐八幡宮に奉納し、併せて八箇社を巡幸する神事として、4年毎(弘仁2年-811-以後は6年毎)におこなわれたという(別稿・「行幸会」参照)
 由緒記にいう天平神護元年は、天平勝宝元年から数えて4回目の行幸会に当たり(天平神護元年だと初回)、その時、八幡大神が石川某に神殿造営を託宣したというが、託宣集などにはその記述は見えず、創建を古く見せんがための付託であろう。なお、神功皇后勧請の時期は、宇佐八幡・第二殿に皇后霊を勧請した時期とほぼ同時期である。

 当社の主祭神と目されるタマヨリヒメとは、海神(ワタツミ)の娘で、姉・トヨタマヒメがアマテラスの曾孫・ヒコホホデミ(山幸彦)と結ばれて生んだウガヤフキアヘズ尊を姉に代わって養育し、後にその后となって神武天皇を生んだとされる(日向神話)

 しかし、タマヨリヒメとは玉(魂・タマ)=神霊が依り付く巫女とするのが一般で、神との聖婚の相手、つまり神霊を宿して御子を生む聖なる女性・巫女の一般名称である。例えば、上賀茂神社の祭神・賀茂別雷別命(カモノワケイカズチ)を生んだ女性がタマヨリヒメと呼ばれて京都・下鴨神社に祀られているように、各地の神社の祭神として多々みられる神名で、特定の神の名ではない。
 当地が一柱騰宮の地に比定されていることから、神武天皇ゆかりの神社として、八幡神勧請以前から鎮座していた比売大神(宇佐神宮でいう比売大神とは異なる地主神であろう)を神武の母・タマヨリヒメとして主祭神としたのであろう。

宇佐神宮摂社/妻垣神社・楼門
妻垣神社・楼門
宇佐神宮摂社/妻垣神社・拝殿
同・拝殿
宇佐神宮摂社/妻垣神社・本殿
同・本殿

※磐座(イワクラ)信仰
 妻垣神社は上社・下社の2社からなっている。下社とは、現在の社殿を備えた社で、上社とは、社殿東南の妻垣山(「ともかき山」ともいう)の山頂近くに残る磐座を信仰対象の聖地とするもので、これが当社本来の原姿と思われる。この上社・下社は山宮・里宮とも呼ばれ、古く、山中にある磐座などを神の依代として奉祀していた山宮(社殿を持たないのが普通)を、時代が下り麓の村里が成長するにつれて、身近な山麓に勧請して建てた社殿が里宮で、神社の古い形態とされる。

 上社への登り口に立つ案内板には、
「共鑰(トモカギ)山院の由緒。−−八幡宇佐宮御託宣集・御遊化の部に、比売大神の御在所で、かつて応神天皇の御霊が霊界修行の時、ここ院の中においてタマヨリヒメと共に利生(衆生救済)の語らいをされたとき、タマヨリヒメが『安楽の御心』となられた故に、こう云うなりと記され、ここは共鑰山の“ご神体に相当する”場所である」
とある。上記託宣集をうけたものだろうが、わが国カミ信仰の原点ともいうべき素朴な古代信仰と、八幡大神の遊行とを結びつけてつくられた伝承といえる。
 ただ、託宣集(遊化部)を通読する限り、「安楽の御心」になられたのは、比売大神というより八幡大神と読める。

 人一人通れるだけの狭い山道を登るが、上社まで詣でる人はないようで、雑木林のなか各処で蜘蛛の糸が顔にかかってくる。
 山頂近く、玉垣に囲まれた柵内に、注連縄を張った苔生した磐座が鎮座している。
 注連縄はだいぶ古くなっているが、そこに垂らした紙垂(シデ)はまだ新しい。カミ祀りは続いているらしい。
妻垣神社・磐座−1 妻垣神社・磐座−2

 磐座とはカミが降臨する聖地である。古く、この磐座をカミが降臨する聖地すなわち山宮として崇め、やがて、それを身近に礼拝する場として麓に設けた里宮が、今の妻垣神社の前身であろう。 

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