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庚申信仰/八坂・庚申堂
京都市東山区金園町
本尊:青面金剛童子(ショウメンコンゴウドウジ)
                                                                 2006.12.27参詣

 八坂の庚申堂は、“八坂の塔”への坂道・夢見坂を登りつめた右手にある。正式には『大黒山金剛寺庚申堂』と称し、天台宗に属する。
 参詣した納め庚申の日、門前には赤い『日本最初 庚申まつり』の幟が立ち、年寄りに混じって舞妓さんの姿もちらほらする華やかな雰囲気だが、道ゆく若い人は一顧だにせず坂を登っていく。忘れられた信仰ということを如実に見せつける風景である。

八坂庚申−山門
八坂庚申堂・山門
  八坂庚申−境内風景
八坂庚申堂・境内風景

※創建縁起
 縁起には、
 『当山は、大阪四天王寺庚申堂・東京入谷の庚申堂(今は廃寺となっている)と並ぶ日本三大庚申堂の一つで、本尊・青面金剛は、飛鳥時代に中国大陸から渡来した秦河勝(ハタカワカツ、聖徳太子に仕えた秦氏の長)により秦氏の守り本尊として祀られたもの。
 平安時代、当代随一の験者であった浄蔵貴所(ジョウゾウキショ)が、すべての人々がお詣りできるようにと八坂の地に当時を建てた。今から約千年以上も前のことである。現在の本堂は、江戸時代・延宝6年(1679)の再建』
とある。

 当寺を建立した浄蔵貴所(891〜964)は実在した高僧で、“三善清行の第八子で、嵯峨天皇の孫と伝えられる母が、天人が懐に入る夢を見て懐妊した”とか“八坂の塔が傾いたとき浄蔵が祈祷したら真っ直ぐに直った”といった不思議な話が多々伝えられているように修験者(山伏)であったらしい。

 縁起にいう「青面金剛は渡来人・秦氏の守護神で云々」とは、寺社縁起にありがちな箔付けであろうが、資料(梅原猛「京都発見」2002)によれば、
 「庚申堂が属する金剛寺はもともと秦氏を鎮魂する寺院で、八坂の塔も聖徳太子建立(崇峻2年589という)との伝承があり、またこの付近から飛鳥時代の瓦なども出土しているなど、この伝承の真実性を裏付けている」
とある。とすれば、この辺りは秦氏あるいは秦河勝と何らかの因縁があるのかもしれない。

八坂庚申−石碑
山門脇の石碑
八坂庚申−青面金剛・掛軸
庚申尊・掛軸
 山門脇に「日本最初 庚申尊」との石碑が立っている。縁起にいうように浄蔵貴所建立とすれば10世紀の頃で、天王寺庚申堂(縁起によれば8世紀初頭)より遅れることになり、四天王寺庚申堂からの勧請との説もある。

 堂内には、本尊・青面金剛童子を中心に脇侍として不動明王・弁財天・三猿などを祀るというが、中を覗いてもよくわからない。
 寺伝によれば、「本尊・青面金剛童子は高三寸五分(約1m強)で、大宝元年正月七日庚申に給ふ」という。この日付は四天王寺のそれと同じで、後世の付託であろう。
 当寺から出している“掛軸”の構図は四天王寺のそれとやや異なるものの、描かれている尊像は同じで、ここにも四天王寺との関わりが感じられる。 

※くくり猿
 本堂左前の小祠には色とりどりの“くくり猿”が吊り下げられ、花が咲いたように華やかである。
 また当寺前の夢見坂にある店先にも、赤い“くくり猿”を千羽鶴のように列ねた縁起物が下がっている。
 祠内には赤い帽子と前垂れを付けた黒い尊像が収まり、扁額には「融通尊」とある。
 この尊像の縁起・由来、庚申との関係などは不明。なお、“くくり猿”については別稿・「ならまち庚申堂」参照のこと。

八坂庚申−くくり猿
本堂左前の「くくり猿」
八坂庚申−くくり猿
店先の「くくり猿」
八坂庚申−くくり猿
同左

※蒟蒻
 納め庚申の日、ここでもコンニャクがふるまわれていた。
 縁起によれば、『千年の昔、開祖浄蔵貴所が庚申尊の霊示をうけ、庶民の病を療治するにコンニャクを以てす。即ち、祈祷せるコンニャクを3個、北を向いて庚申尊を念じ、無言で食すれば諸病諸厄を免れる』とあり、ここのコンニャクは病除け厄除けに験ありとされている。
 境内では、賽子状に切った蒟蒻3個を串に刺したものの接待があり、参詣人が黙って食べていた。

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