トップページへ戻る
※アイルランド紀行より、2002.06

妖 精 の 話

※妖精の話
 アイルランドには今もって妖精が住んでいます。それも、すぐ隣に住んでいるのです。
 西部の景勝地ケリー周遊路を廻っていたとき、山間の道端に『Leprechaun crossing』の文字と、赤い帽子を被った白い髭の小人を描いた、矢羽根型の黄色い交通標識が立っていました。
 レプラコーンとは小人の妖精です。“この辺り妖精の出没あり、注意せよ”、いわば“学童横断あり、注意”の妖精版です。
 妖精とは何者か。まず神話から入ります。

アイルランド−交通標識
交通標識:Leprechaun crossing
アイルランド−レプラコーン
靴職人:Leprechaun

※侵略の書
 わが国に“イザナギ・イザナミ双神による国生み神話”があるように、どこの国でも、その国がどうやって造られたかという神話をもっているのが普通ですが、アイルランドには、多くの神話・伝承が残されていますが、何故か天地創造神話はありません。それに代わるのが「侵略の書」(来寇の書ともいう・10世紀頃成立という)といわれる伝承です。

 書によれば、アイルランドにはパルトローン族・ネウェド族・ヴォルグ族・ダヌ神族・ミール族と呼ばれる5つの種族が順次やってきたといいます。彼らはその都度、先住種族を追い払って定住するのですが、その最後の種族・ミール族が、今にケルト人と呼ばれる人々だといわれ、ここから有史時代が始まります。

 書は次のように伝えています。
 @最初に愛蘭土にやってきたのは、あの大洪水の中ただ一人生き残ったノアの子孫であるフィンタンという男であった。彼は魔法の力を持っていたので、鮭に姿をかえ大洪水の中を泳ぎ回り生き残ることが出来たのだ。
 彼は、水が引くと鷲に姿をかえ、次いで鷹になって空高く飛び回り、水が引いて見えてきた山や草原をながめていた。

 A次ぎにやってきたのはパルトローン族で、西の海から上陸した。彼らはそれまであった幾つかの湖や川・平野に加えて、森を切り開いて3っの平原と湖を造った。
 しかし、この地には太古の昔からフォウォレ族という邪悪で姿の見えぬ者たちがいて、人々を苦しめていた。パルトローンたちは、来る日も来る日もフォウォレ族と勇猛に戦ったが、最後には戦いではなく疫病によって、一人の男トゥアンを除いて死に絶えてしまった。
 トゥアンは200年もの間、岩場の洞窟に隠れて過ごしていたが、ある日、ネウェドという男が4人の男と4人の女とともに一艘の舟でやってくるのを見た。

B9人のネウェド族は数を増やし、森や藪を切り開いて新しい平野や湖を造っていった。
 一方、フォウォレ族の悪さはあいかわらず続き、ネウェド族の子孫たちは幾たびも彼らと戦わなければならなかった。激しい戦いが4回おこり、3度はネウェド族が勝ったが4度目の戦いに敗れ、生き残った30人は東に逃れた。

C何百年かたって、また新しい侵入者がやってきた。彼らは、東に逃れたネウェド族の子孫たちで、フィル・ヴォルグ族、フィル・ドウナン族、ガリオイン族といった。
 彼らは、愛蘭土を5っに分けて住み着き、平原や峡谷を耕し、誰にも邪魔されずに豊かに過ごしていたが、ある日、新しい侵入者・ダヌ神族(女神ダヌの息子たち−トゥアタ・デ・ダナン族ともいう)がやってきた。

D次にやってきたダヌ神族は、かってない魔法を使う種族だった。彼らは、北の島から舟も使わず地上を歩きもせず、まるで霊魂の群れのように空中を漂ってきて、五月の最初の日に、草原に静かに降り立った。
 ダヌ神族は4っの驚くべき秘宝、
 ・王に相応しい者が触れると叫び声を挙げる“運命の石”、
 ・それを持つ者に必ず勝利をもたらす“軍神ルグの槍”、
 ・どんな敵でも必ず皆殺しにする“ヌアザの剣”、
 ・いくら食べてもなくならない“ダグザ神の大鍋”
を持っていた。
 先住のフィル・ヴォルグ族は、この国の平和を保とうとして、ダヌ神族に和平を申し入れたがまとまらず、戦いが始まり、西の海に近い地で激戦が繰り広げられ、フィル・ヴォルグ族は大敗し西部のコナハト地方に押し込められてしまった。
 ダヌ神族もまた悪の妖精・フォウェレ族と戦わなければならなかったが、若き英雄・ルーグが登場し、邪悪な目を持つ巨人・バロルを倒し、フォウェレ族の悪の支配を終わらせた。

 ダヌ神族・女神ダヌの息子たちは、何百年もの間この島を平和のうち支配していたが、ある年の5月の最初の日、背の高い美しい男たちが南西の海岸に上陸した。

E彼らはスペインからやってきたミール王の戦士たちで、彼らはダヌ神族の攻撃をことごとく打ち破ったが、ついに双方は和平を結び、国を二分して、地下の世界はすべてダヌ神族に与えられた。ダヌ神族は地下の霊・妖精となり、今でも魔法をつかったり、太古の記憶を想いおこして物語っている。
 それ以降、愛蘭土の地上世界はスペインから来た背の高い戦士たち・ミール族に支配されることになった。これが、我々が知るケルト人である。(以上、ケルトの神話と伝説・2000より抄出)

 強力な魔法をもつダヌ神族が、魔法を知らないミール族に敗れる。それは混沌から秩序へ、神の世界から人の世界へという流れを意味するのでしょうが、それよりも、敗れたダヌ神族が地下の霊すなわち妖精になって今も住んでいるとする語りに、アイルランド人の豊かな感性を見ることができます。

※再び、妖精の話
 妖精とは何者か。侵略の書からいうと、“地下に隠れた女神ダヌの息子たち”です。
 その息子たちが、“キリスト教によって異教の神々へと貶められ、次第に、崇拝もされず供物も捧げられなくなって、身の丈がわずか20〜30cmほどに縮んでしまった”のが妖精で、その証拠に、妖精の長(オサ)の名前はダヌ神族の英雄たちと同じだし、彼らがよく出没する場所は英雄たちが眠る墓地だ、というのがアイルランド人が信じる妖精だといいます。

 話は脇道にそれますが、アイルランド西部にある岩だらけの荒れ地・バレン高原に『巨人のテーブル』とよばれる巨石遺構・ドルメンがあります。ドルメンとは太古の墓です。巨人のテーブルといいますが高さは2mほど、上に乗る平らな天井石(テーブル)も畳一畳ほどの大きさで、そう大きなものではありませんが、岩場の最高所にポツンと立っているさまは異様です。
 これらアイルランド各地に数百基と残っているドルメンを誰が造ったのかはわかりませんが、妖精の側からいうと、大きい小さいを問わず女神ダヌの息子たちの墓です。そしてそこは又、女神ダヌの息子たちの、そのまた後裔でもある妖精たちが、誰もいない月光の一夜を踊り明かすために、地上に登ってくるときの花道でもあるのです。

 また、妖精は“堕天使”だともいいます。なんらかの罪を犯したために天国から追われた天使で、最後の審判で救われるという保証はないが、地獄へ直行するほどの悪(ワル)でもない堕天使、天国から堕ちはしたけれども、その悪戯に全く悪意がないので地獄には堕ちなかった堕天使、それが妖精だというのです。

 彼らは、おだてに乗りやすく、夜、窓の外枠に少しばかりのミルクを置いてやれば、一生懸命になってその人を守ってくれるが、誇りを傷つけられたら手痛い悪戯で仕返しする。いわば、善人には善をもって報い、悪人には悪をもって報いる、魅力的な悪戯者だが、残念ながら気まぐれで節操がない。そんな愛すべき堕天使が妖精なのです。
 ご馳走を食べたり、音楽を奏でながら歌ったり踊ったり、恋をしたり、戦争ゴッコをしたり、それが妖精たちの仕事です。そんな愉快な仲間たちにあって、先のレプラコーンだけが唯一、働き者の靴職人です。妖精たちは、気が向けば一晩中でも踊り明かしますから、破れた靴の修理は大切な仕事なのです。
 働き者のレプラコーンは、何処にでも出かけますから、あちこちに埋められている財宝の在処を残らず知っていて、気に入った人には分けてくれるとも、逆に、けちん坊の大金持ちだともいいます。どこからともなく現れ、ちょっと目を離すと煙のように消えてしまう彼と出会って仲良しになったら、彼が隠している財宝を分けてもらえる、ともいいます。 

 妖精とはこの世とは別の世界・異界の住人です。しかし異界とはいっても、アイルランド人にとってのそれは、一枚の薄いヴェールで隔てられているだけの身近な世界のようです。それは家の軒先・垣根の向こう側・大木の洞(ウロ)・メンヒルの根元などであり、そこに妖精がいると信じさえしたら、妖精は何処にでもいるのです。そんな妖精の世界が、アイルランドにはあちこちにあるのです。

 妖精とは“霊”だともいえます。それは“カミ”といいかえてもいいでしょう(“神・GOD”でない)。わが国では『人はさらにも云わず、鳥獣木草のたぐい海山など、尋常ならず優れたる徳ありて可畏こきもの』をカミと呼んできました(本居宣長)。かってのアイルランドにあったケルトの宗教ドルイド教でも、それは同じです。彼らは山に・川に・泉に・森に・樹々に・石に、人界を含む自然界の凡てにカミがいると信じてきました。

 このようなアニミズティックな感性は、昔から多くの人々に共有された感性ですが、それを叩き潰したのが一神教だったともいえます。唯一神によって抹殺され追放された異教のカミたちは消え去るか、サタン・デーモンといった悪魔へと転落せざるを得ませんでした。
 そんなキリスト教世界にあって、唯一神信仰を表に立てながら、ドルイド教という土着信仰のカミたちを懐に抱き込むという特異な道を辿ったアイルランドにおいて、人々の心の中で生き残った異教のカミたちが、妖精なのかもしれません。

トップページへ戻る